どんな葬儀にしようかな

先週は、義母の葬儀関係で忙殺されました。

義母は、10月9日病院で誤嚥で死亡しました。7月30日(野馬追の日)、家で肋骨2本を複雑骨折して入院し、闘病2カ月余で亡くなりました。91歳でした。頭はしっかりしていましたが、今年初めから、辛うじて歩けるぐらいに体力は落ちてました。

 

病院での面会→帰宅後枕経→納棺→通夜→本葬→収骨→初七日と葬儀関係が続きました。

 

お経をきいてて思ってたことは、自分の葬儀はどうしようか、という事でした。結構真剣に考えました。

 

その前の問題、どこで死ぬかです。勿論突然死の場合は、思慮外です。

 

病気した場合どこで療養するかが、まず問題です。5.45畳のわが部屋は、妻と共有の上、TV/PC・物入れがあり、まず無理です。となるとLDKですが、家族5人の炊事・食事のところでもあります。

 

どうしようか。重い病気で初めから病院に行ければいいんですけど、そうでない場合もあるでしょう。・・・昔の家だったら6畳と8畳の続き間があったので良かったんですがね。

 

やはり、病院で死ぬのが簡単かな。

その後の葬儀関係は、自宅ではかなり無理があります。病院から葬儀場へ直行かな。葬儀場で出来るだけ葬儀関係を済ます方式がいいでしょうね。生前葬は、恥ずかしくてできない。

 

となると、

生きているうちに戒名をもらい、家族葬で済ませて、お別れの会という方式もいいなあ。お別れの会?俺みたいなものに、そんなのやる価値あるのか?戒名?俺、仏弟子になるのかな。地獄・極楽なんてないと思っている俺に戒名なんて必要かな。戒名に50万も取られて、そんな価値あるのかな。第一、坊さんよんで、葬儀する意義あるのかな。そんなことも思います。

 

一方、仏教の思想=縁起説・四苦八苦・諸法無我諸行無常・慈悲の心なんて好きだな。しかし、これらは生きているうちの、生き方の提示でして、死んだ人には関係ないものです。

 

元のブログ知人の兄弟(独身)のように、「大学へ献体でおしまい」、なんてのもすっきりしていていいけど、俺の場合、遺族がいます。

 

葬儀は遺族の為やるもので、彼等の満足が行くように、彼等に任せるべきという気もします。難しいなあ。俺の死は俺のもので、俺が思った通りにしたいという気もします。

 

多くの人は、どんな風にお考えなのでしょうね。

 

死に方は、やはり癌死がベストと思いますね。脳がまだしっかりしていて、人生にある程度決着がつけられます。遺志も伝えられる。

 

すでに、土地は息子に、数百万の金融遺産(少ないなあ)は、法律の決まり通りに分ける、生命保険は殆どない、俺の物はすべて捨てる、家のお墓に入るという事は、言い渡してあります。

 

という事で(笑)、今日の市の検診、2年連続で引っかかった前立腺がんの数値(PSA検査)は、今年はパスしました。金(PSA検査料2200円、他は無料)もかからなくていいや。

 

検診の最後は、胸のレントゲン検査でした。検査終了後、検査技師の女性に言われました。「次の人は奥様ですか?」私「いいえ違います。」それで気になって、バスから出る時、次の方を見たら、髪が真っ白の老婦人でした。私はひどくがっかりしました。も少し若い女性だったらいいのになあ。

 

おいおい、俺はそんなに老人に見えるのかなあ。確かに俺は殆ど白髪だけど、あんなに年喰ってないよといったら、本物の妻が、「あなたも十分老人です」。ふん。