白鳥がやってきた 平和学習会に参加して

白鳥がわが町にやってきました。冬まじかです。つばめ同様、白鳥も多くの苦難を乗り越えてシベリアからやってきたのでしょう。

 

シベリアと言えば、ロシアも経済制裁で結構きついことになっているそうです。プーチンもバカなことをしたもんだ。領土拡張なんてもう古いですよ。敵愾心を持つ人々のいる領土なんて負の財産です。大損をします。早いとこ諦めて撤退しなさい。日本は、敗戦で南樺太満州・朝鮮・台湾・南洋諸島、このすべてを失ってからの方が、豊かになりました。論より証拠、1960年代末からの40年間、日本は世界2位のGDPでした。

満州事変ころの「満蒙は日本の生命線」というスローガン=中国侵略の合言葉は、なんだったんだろう)

昨日は、南相馬市博物館で、平和学習会に参加してきました。約40名参加かな。

同館では、10月22日から12月11日まで「相双地方の被爆体験を伝え継ぐ」という企画展示をしております。

1983年原町市民によってまとめられた「私も証言するーヒロシマナガサキのこと」という本の内容を紹介する展示が主です。

詳しくは、同博物館のHPをご覧ください。

 

同書は、相双地区の被爆20名の語った被爆体験を主に、この本を読んだ読者等の感想も載せています。

広島・長崎から遠く離れた相双(相馬郡双葉郡)にも少なくとも20名の被爆者がいたのです。びっくりです。今年6月時点で、5名の方が生存されているそうです。原爆から77年、広島・長崎でも被爆者が少なくなる中、同書を再び見直すことはとても重要と思います。

 

まして、ロシアの核兵器による威嚇や北朝鮮の核実験準備の動き等がある中で、とても意義ある催しと思います。

 

10月30日(日)には、この催しの一環として、広島平和記念資料館の西村宏子(派遣講師)さんのお話とスライド・ビデオ上映が行われました。主な内容は、

〇原爆投下の背景(第一次大戦以降敗戦までの日本の歴史の概要)

〇原爆投下の経過(どうして広島・長崎が選ばれたのか)

〇原爆の威力(熱線・爆風・放射能

〇原爆を受けた市民の惨状(当日のわずか3枚しかない写真等)

〇現在の原水爆保有状況・ その背景にある核抑止力の話

原水爆禁止運動の現状(NPT・CTBT・核禁条約、平和首長会議、広島での運動)

という網羅的なものです。

西村氏の話によると、これは広島の中学生向きの内容なのだそうですが、大人の私がきいても知ることが多く、充実したお話でした。いっぺんで頭に入らないので、も一度聞きたい話でした。

 

特に「はだしのゲン」の作者中沢啓治さんのインタビュー(ビデオ)が強く印象に残りました。原爆の炎の中で母親が息子を見捨ざるを得ない話。

 

ホントに多くの人に聞いてもらいたいお話でした。講演会場には、原寸大のリトルボーイ(広島に投下された原子爆弾)の写真が展示されていました。約3mありました。西村氏の話しでは、実際に爆発する核物質は、2850g、ゴルフボールよりも小さいものだそうで、会場で見せてもらいました。物質が消滅して膨大なエネルギーに変わるという核分裂の本質を思い出しました。

 

原子核分裂という単なる物理現象が、歴史的政治的要因で、何十万の人々を殺害し、その何倍もの人々の長期の苦しみをもたらすという事実を改めて考えさせられました。

 

 

同館には、丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」(1950年制作・第2号・炎)の原寸大レプリカがありました。縦1.8m、横7.2mと巨大でした。炎に焼かれる人々が描かれておりました。私は、殺された人々のうめき・怨念を感じました。

 

いい勉強になりました。南相馬市博物館の見識と勇気に感謝します。

 

それで今日のスタンデイングには、久しぶりにこのプラカードを掲げました。

唯一の被爆国日本が、核禁条約を結びそれを批准することに何の遠慮がいりましょうか。もう条約は、発効しています。つまりは、世界の趨勢です。ほんとは、核禁条約は、日本国が先頭に立ってほしかったことです。でも今からでもいいです。核禁条約締約国になりましょう。非核三原則は日本の国是ではありませんか。

私を含めて8名参加でした。(相馬市)

尚この「福島県相双地域在住者による被爆体験談集ー私も証言するーヒロシマナガサキことー」は、現在増刷されて原町市博物館で販売しているとのことです。遠くの人には、現金書留1180円(定価1000円、送料180円(レターパック代))で送るとのことでした。