歌をいいと思うそれぞれの琴線は違い、普遍的なことは 無いと思うのですが、共感される人もいらっしゃるかな、と思い、歌の話を書きます。
先日孫(4歳女児)の運動会で聞いた歌の一節です。
「つばめ」という歌なのだそうです。
孫たち年少組は、つばめの羽を模したものを身に着けて歌に合わせて踊りました。
その後、家に帰って孫が時々ユーチューブでこの歌に合わせて踊っているのを見て、この歌結構いいこと言っているなあ、と思うようになりました。子供たちの運動会でいいなあと思った歌(知った歌)は、フォーチューンクッキー以来かな。
♪それぞれ違う暮らしの形守りたくて気づかないうちに
傷つけあってしまうのはなぜ 同じ空の下で♪
♪誰かが手に入れた豊かさのうらで
帰る場所を奪われた仲間、ホントは彼も寄り添い合って生きてたいだけなのに♪
少し立ち止まって考えてみると、そんなことってどこにもあるよなあ、と思います。
家庭内・友人間でも、学校でも、会社・組合内では勿論、考えてみれば地域でも、世代間でも、社会全体は言うに及ばず、国家間は勿論、世界中を見渡しても。
そんなでかい話じゃない?そうかもしれないです。
私は、競争心がそれほど強くなく、出世欲はなかった人間ですが、それでも学校時代や長い職場生活で、私がその身分・職場・立場を得ることにより、別の人のそれを奪ったと言えます。
これはある程度しょうがないことと思います。
♪僕らは求めるものも描いている未来も違うけれど
手と手を取り合えたならきっと笑い合える日が来るから
僕は今何ができるかな
♪許すことで認めることで僕らはつながりあえる
♪僕らがいまできることで
それだけですべてが変らなくたって
誰かの一日にほら少しだけ彩を
♪こんな風に世界中がささやかな愛であふれたなら
何かがほら変わるはずさ同じ空の下いつかきっと
♪それが小さな僕の大きな夢
私達は「手と手を取り合うこと」ができるでしょうか
私達は「許すこと認めること」ができるでしょうか
手と手を取り合うことが間違いという事はないでしょうか。
許しちゃいけないこと、認めちゃいけないこともあるのではないでしょうか。
(ロシアのウクライナ侵略、ヘイト、格差、犯罪、いじめ、政府・国民の沖縄差別、・・・)
この歌はこんな大きなことを言っているわけではないのでしょう。
しかし、「許しちゃいけない、認めちゃいけない」というのも、愛と言えると思うのでのです。(それはもっと強い広い愛かもね)ですので、この歌の次の一節に共感します。
世界中にささやかな愛があふれるほどあったならいつかきっと何かが変わると思いたいです。
♪ぼくらにいまできることそれだけで全てが変わらなくたって
誰かの一日にほら少しだけの鮮やかな彩を♪
そうだよな。今できることですべてが変わるはずがありません。
しかし、小さくとも、数多くの努力が、世界を変えると信じたいです。
つばめで思い出した歌を書きます。 高校時代、NHKみんなのうたで「ラ・ゴロンドリーナ」という歌に感動しました。 つばめを歌った歌です。 つばめの健気さを歌ったように思いました。
この歌は、いろんな有力歌手が歌ってますが(日本人歌手の歌があまりないのが残念)好きなのは、ナナ・ムスクーリの歌唱です。意味は分かりません。