ケケケと笑って生きよう

「ケの日のケケケ 特別版」というNHKドラマを見ました。ブログ知人のどなたがが触れていたのが頭に残っていたのでしょう。

 

視覚等の感覚が過敏な女子高校生が主人公です。

部活動強制の高校で、彼女は、部活には入れず(感覚過敏では難しいでしょうね、美術部なんかどうかな)、「ケケケ同好会」をつくるという話です。この同好会、ひどく緩いんです。週2日が活動日で、「何をしてもいいし何もしなくともいい、出席しなくともいい」、というんです。制限は、部室で音を出さないという事だけです。

 

こう緩くては、学校側や努力至上主義の生徒から圧力がかけられます。

 

味方もいまして、競争(走)につかれた陸上部員、哲学好きな生徒会長、不登校の生徒、図書の先生などです。結局、この子が生徒会長に立候補して、部活動強制という校則をなくすことを目指すという場面で話が終ります。

 

日常生活ではどうにもならないことばかりです。どうにかなるところでは楽をしましょう」という彼女の、生徒会長立候補の演説が印象的でした。いいねえ、実にいい。

 

彼女は、学校ではきっと「ケケケ同好会」あるいは、部活動自由参加で、どうにかなるのですが、家庭生活では、どうにもならぬことがあります。

 

母親に新しい恋人ができて結婚して、その新しい父親が、好意から普通を押し付けることです。これが彼女を苦しめます。でも「どうしようもないんだ」と父親にわかってもらうため努力します。赤ちゃんの泣き声が最大の難関です。

 

「不機嫌なモンスターにならぬためたゆまぬ努力をするのが私の普通」という彼女の言葉(ナレーション)も印象的でした。

 

普通とは、なんだろう。学校・会社などの組織では、規則や大勢の思い込みかなあ。家庭では、社会通念や感覚かなあ。社会通念(≒大勢の思い込み)と違う人もいることには気を付けなきゃね。普通≠皆を忘れないようにしませんとね。

 

学校は、部活強制なんてやめたらいいなあ。私の中高は、多分、部活強制だったんだけど、それは原則であって、うるさくなかったな。第一、先生方も、団塊の膨大な数の俺たちの、部活の面倒なんて、見られなかったでしょうからね。

 

 

 

一昨日かな、不登校の生徒が、小中で30万人!というニュースが流れました。

きっとこの子たちの多くが、「普通」の圧力が耐えられなかったんでしょうね。

 

 

 

 

私の子供たちが、幼稚園から高校ごろよく言いました。「皆○○してるよ」「皆○○だよ」と。私はいつも「皆って全員か」「全員ではないだろう」「そうでない奴もいるだろう」「クラス何人中の何人か」と言いました。私は、皆○○という言い方(言われることは特に)が嫌いでした。今もそうです。

 

 

普通でない、ということでいじめられる場合があります。「向こう岸」という生活保護を扱ったNHK特別ドラマも印象的でした。これは別に書きたいと思います。