春また春

久しぶりに早朝5時、散歩に出ました。5月2日から、次女家族3名が来て8名の家族で過ごしています。

 

夕食係の私は、大変だと覚悟してたのですが、全然楽なんです。暇なんです。

 

というのは、日常と違ってうまいものを食べようということで、隣町の鶏唐揚げ(甘くておいしい)とか、BBQとか、寿司とかを食べるので、私の出番がグーと減っているのです。

 

そしてさらに大きく違うのは、孫二人の相手が無くなったということです。次女の娘は小学校3年で、もう私の相手はしてくれません。普段は、私も遊んでもらえる同居の孫(5歳)も、いとこの小3と遊んでいて私の相手はしてくれません。彼女たちは、主にゲームと工作(何とかというんです)ですね。

 

日中は、若者家族6名で遊園地などへ遊びに行きます。

 

寂しいなあ。俺の出番はない。(ブログの連発もこの影響です)

 

ということで、傷心をいやすべく(笑)、散歩に出ました。今日もまた快晴です。こんなに快晴の続いたGWってなかったような気がします。風に吹かれてまあ気持ちがいいなあ。

 

久しぶりに、全盛期の散歩コースを歩きました。毎度のことですがびっくりするのは、田んぼも畑も作らなくなったところが多くなったことです。

 

こんなことで日本の農業は大丈夫なんだろうか。これもいつも思うことですがね。

 

うれしいこともありました。長年の疑問が解決したことです。

 

疑問ー田植え時だけ、豊かに流れるこの水はどこからくるのか?近くに水の汲みやすい川も湖もないのに、どこからくる?

 

答えは、飯館・鹿島(南相馬市)のダムからだそうです。山をくりぬいて水路がつくられているのだそうです。普段は閉めてあるバルブを田植え時に開けるのだそうです。

 

なるほどなあ、通りがかったご老人に教えてもらいました。

 

ご老人曰く「この広い田んぼ、みんな○○さんがやってんだ。忙しい時は人を頼むけど。500万だか1000万の機械使って。○○さんもだいぶ年だ。息子は会社勤めで都会だ。彼が辞めたらだれがやるんだろう。誰もいないぞ」

 

田んぼは、4反の田が数十枚ありそうだ。ここが全部、荒廃田そして原野に帰るのかよ。恐ろしいねえ。

 

公共事業費を投じて、さらに耕地整理して、数ヘクタールの田を数枚作っても、外国に太刀打ちできないだろうから、企業も手を出さないでしょう。こりゃやはり原野か。

 

暗い気持ちで、田んぼ道を歩いていきます。

 

遠くでヒバリの声が聞こえます。すいっと、ツバメが飛びます。あれ、ツバメってこんなに早く来るんでしたっけ。「ラ=ゴロンドリーナ」の一節を鼻歌で歌います。小さな森に差し掛かりますと、ずいぶん大きい声で鳴く鳥がいます。何でしょうね。

 

水の少ない小川の土手を町の方に向かって歩きます。小川にはセリがいっぱいあります。

 

春ですねえ。気分がもう変わりました。

セリを摘む娘・・・。川土手・セリ・タンポポ・春草

 

「藪入りや浪速を出でて長良川

「たんぽぽ花さけり、三々五々」

「五々は黄に三々は白し」

「たんぽぽ茎短うして乳を余せり」

「むかしむかししきりに思う慈母の恩」

「慈母の恩愛別に春あり」

「春あり成長して浪速にあり」

「春情学び得たり浪速振り」

「行き行きて又行き行く」

「楊柳長堤道ようやくくだれり」

「戸に拠る白髪の人、弟を抱き、われを待つ、春また春」

「君見ずや故人太祇が句」

「藪入りの寝るや一人の親のそば」

私の超大好きな「春風馬提曲」(蕪村)の一節です。高校3年の古典のほぼ最後で習いました。何べんも読み想像を楽しみ、一部の歌詞が頭に残るぐらいでした(そんなことをしてるから大学落ちるんだ、バカ)。

 

上は頭に残った一部です。だから間違っているかもしれません。(引用すればいいんですが、その技術がありません。まあいいでしょう。興味を持った人は自分で見るでしょう)国文学に行きたいと思った歌です(結局行きませんでしたが)

 

都会で勤務する娘が、藪入りで、故郷に帰る情景を歌ったものです。これが江戸時代の歌なんですからねえ。驚きませんか。なんと近代的なんでしょう。ロマンチックなんでしょう。蕪村は天才だ。

 

ということで、現代の藪入り(時節がちと違いますが)=GWの「春また春」を、皆さま、十分お楽しみ下さい(笑)。あ、明日から仕事か(笑)。いやあさってからでしたね。

 

 

 

故郷に親のある若い人は、高速道路を「ゆきゆきてまたゆきゆく」ぐらい運転して

故郷に着いたんですから、安心して「親のそばで寝てください」(実はこの句がいまいちわからないんですよ。なんで一人なんだろう?そして蕪村は、自分のでなく、どうして他人の句で〆たんだろう?)