初登校・初スタンデイング・「明日の記憶」再読

昨日の散歩で、久しぶりに小学生・中学生の登校を見ました。3学期の始まりです。

中学生に声をかけるととても元気に、「今日は始業式です」と答えてくれました。

小学生に[「おはよう」というと、おはようございますと元気な声。今日から勉強もあるだろうに元気だ。いつまでも学校や勉強が楽しいといいな。

 

今日は私の初スタンデイング。南相馬です。気のせいかもしれませんけど、交差点で止まった車からじっと見ている人が多かった気がします。

 

こんなこと、何の役に立つのか、とも思いますが、スタンデイングできる社会の維持に役立っていると思ってます。だって、中国や香港や北朝鮮やロシアや戦前の日本では、反権力的プラカードを持った意見表明なんて出来ないでしょうから。

だれかのまねで言えば、「スタンデイングで、スタンデイングのある社会に変えることができる」

 

荻原浩「海辺の理髪店」が良かったので、かつて読んだ同じ著者の明日の記憶を再読しました。ブログには書いてなかったようですので、13年以前に読んだのかな。

 

よんで少しビビりました。

アルツハイマー認知症の話しです。

人やものの名前がすぐに出てこない、今日が何曜日なのかわからない、文章の意味が分からない、簡単な四則計算の暗算ができないなんて、主人公同様、私も近頃しょっちゅうなんです。しかも遺伝的要素もあるとか。私の母は、アルツハイマー認知症で死亡しました。

 

極め付きは、文庫本解説の精神科医の「74歳・75歳」が発症のピークという文章です。私、今年3月、75歳になるんです(笑)。

 

主人公は、50歳。若年性アルツハイマー型。病気の進行が早くて仕事に支障が出てきます。会議の約束を忘れ、同僚や交渉相手を忘れ、慣れた場所へ行くのに迷子になってしまいます。そんなですので、上司から退職を迫られます。でも娘の結婚式まではと必死で仕事にしがみつきます。

結局、営業部長をやめさせられ、窓際部署に移されます。そして、娘の結婚式が終ると退職します。

 

10数年前に読んだときは、ラストシーンの美しさというか・悲哀と言うか、それが極めて強く心に残りました。

 

まあそれもさることながら、今回心の残ったことは、

⓵主人公の必死の努力です。打ち合わせたことすべてをメモにし、顔写真付きのカードを作り、人間違いしないように、何べんも予習します。その健気さ!

②陶芸教室の先生の、主人公の認知症に付け込んだお金の二重取り。メモがある故それがわかってしまう悲しさ。しかもこの先生、いい人なんですよ。でも生活に困っているので、そんなことをしてしまいます。悲哀!

③同僚や家族や友人のやさしさ。特に妻と取引先の課長と部下の若い女性。

④著者自身が、認知症患者に優しいおもざしを向けてること

特に、主人公が、同じく痴呆症を呈している陶芸家と野焼きをする場面なんてユーモアの雰囲気さえも出ています。

そして主人公の考え。

「妄想はアルツハイマー患者の特権だ」

「自分の病気も、もう恐れはしなかった。私自身が私を忘れてもまだ生命が残っている。」

「記憶が消えても、私が過ごしてきた日々が消えるわけじゃない。私が失った記憶は、私と同じ日々を過ごしてきた人たちの中に残っている」

「酒がうまい。ジャガイモがうまい。玉ねぎがうまい。火が熱い。風は冷たい。私は生きている。」

この小説は、認知症患者への応援歌、いやすべての人生への応援歌という気もします。

 

この本が書かれてから20年がたちます。現在は、認知症の研究と治療法はもっと大きく進んでいるでしょう。認知症への理解も進んでいるでしょう。

私も認知症になる可能性も結構ありそう(癌罹患と脳又は心臓梗塞と3分の1くらいかな

なので、主人公の言葉と言うか、考えを覚えておこう。オット認知症だから忘れるか(笑)