新春いろいろ

コロナ異変

1日恒例の相馬駅のキオスクに新聞を買いに行った。ところが休みである(⁉)。えー、今までこんなことなかったのに。そういえば常磐線はいつもガラガラ。駅利用者も少ないのだろう。竹駒神社宮城県岩沼市)への初もうで客も少ないことを見越しての休みなのだろう。コロナ禍迫る。

 

毎年来ている静岡の次女一家が今年は来ていない。5歳になった静岡の外孫と2歳の内孫の人間関係、どうなるか興味があったが、それは次に持ち越し。もともと喪に服した正月であるが、さらに、寂しいお正月とになった。

 

9日、偶然NHKでウイーンフィルのニューイヤーコンサートの再放送を見た。最後の「美しく青きドナウ」と「ラデイツキー行進曲」の2曲である。なんと無観客である。あの芸術の都ウイーンの豪華絢爛たる音楽の殿堂(名前がわからないので、無意味なごまかしをしている)に鳴り響く名演奏を聞く観客がいない!こんなことはめったにない珍事だろう。

 

11日、インターネット接続が不安定なのでNTT東日本の出張修理を受けた。それはいいんだけれど、朝、電話で相手する側(つまり私と家族)の体調を聞かれた。マスク着用も要請された。換気も要請された。コロナ禍が身近に迫ってきた感じ。やっぱ、やな感じだ。

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新春雑感

株式異変

株式相場はおかしいなあ。世界でコロナ禍によって経済成長が鈍化しているのに、日本では、強盗何とかストップして、再びの緊急事態宣言なのに、株はほぼ上昇し続けている。経済が悪ければ株は下がるはず。おかしいなあ。

 

世界各国政府と中央銀行が、借金を増やしてまで、コロナ対策で金をじゃぶじゃぶ社会に出しているからだという。余った金が株式に回っているという。

 

これで利益を得、資産を増やす人もいるだろう。そこからは、徴税で、お金を大いにいただくべきだ。

 

経済が良くなれば、政府と中央銀行がお金を絞る。そうすると株は下がる。

 

ふーん。経済が悪いと、株が上がり、経済が良くなると株が下がる。へえー、おかしいな。いやいや、くるっているなあ。

 

そのうち、大暴落でもするんだろう。

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元旦の読売社説が、例年と違って、政権べったりという感じがしなかった。さすがの読売もよいしょばかりじゃダメ思ったのか。

 

この社説が国の借金残高1000兆円越え、企業の内部留保475兆円、個人金融資産1901兆円という事実と成長鈍化を指摘するのはいいが、その対策に、成長戦略と社会保障制度改革の断行をあげている。成長戦略って何?社会保障制度改革って、社会保障の切り捨てかい。

 

読売は、国の借金残高漸増と企業内部留保漸増と個人金融資産漸増という3つが、関連して、成長の鈍化になっていると考えないのかな。これまでのやり方じゃダメと思わないのかな。

 

漸増する内部留保・個人金融資産を使って、借金を抑え、成長しようと考えるのが当たり前思うけどな。これまでの政策じゃダメと考えるのが普通と思うけど。

 

やっぱり政権べったりだな。

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強権発動しやすい国の方が、自由・人権重視の国よりコロナ禍を抑え込めるという意見がある。中国(強権)の成功と欧米(自由・人権)の失敗がその例という。これは単純に比較すべきでない。まずアジアと欧米で患者数大きく違うからである。

 

コロナ抑えに成功した同じアジアの、中国と台湾の比較なら意味があるかもしれない。

 

台湾もコロナ禍に対しては、厳しい国境封鎖や重い罰金等強権的に見えるところがある。一方台湾政権は、国民への徹底した情報開示・国民の理解協力を求めるという民主的手法でコロナを抑えた。

 

政権による、完全な情報開示と国民の理解への努力があれば、厳しい措置も国民に受け入れられる。つまりは、自由・人権を重視する国でも、政権の努力と国民の信頼があれば、コロナを抑え込めるということだ。

 

 

翻ってわが日本。情報開示どころか情報隠蔽・ねつ造のオンパレードだ。国民の理解を求める姿勢は全くない。

 

自粛せよ、自粛せよの一点張りだ。科学的知恵も国民への思いも何もない。

 

12月まで、旅行に行け・大いに飲み食いしろと言っていて、1月は行くな、飲食するなである。信頼なんて出来っこない。

 

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経済成長でも、強権国家の方が自由・民主国家より成長しやすいのでは、という考えももある。勿論、欧米日より中国の経済成長が大きいことを念頭に言っているわけだ。中国政府は、政権批判を弾圧する一方、市場での自由な利潤追求を認めているように見える。

 

どこの国でも、経済政策も政権が決定する、だからこの問題は、独裁的経済政策(中国)が、いろんな議論の末の経済政策(欧米日)より、高い経済成長をもたらすかどうか、という問題になる。

 

意見が分かれた時、どうしますか。・・・一人の意見で決めますか、二人の意見で決めますか、それともおおぜいの意見で決めますか。一人の意見が正しくすぐれていることもあります。しかし、そうでないことの方が多いでしょう。・・・おおぜいの意見で決めるのが良いのです。これを民主主義と言います」(「新しい憲法の話し」昭和22年文部省著作)

 

この理念を信奉している私は、独裁的経済政策が、経済成長するのに有利と思っていない。中国の国家独占資本主義(大は、やがて経済成長ができなくなると思う。しかし、私にこの証明は出来ない。

 

 

もっと重要なこと。

国家独占資本主義は、資本が国家権力を使って(中国の場合、資本と権力が一緒=共産党関係者、という図式が当てはまるんじゃないか)、どこかから、誰かから、何かから、収奪するシステム故、収奪されるどこかの、誰か、の何か、があるということ。

 

もっともっと重要なこと。経済成長優先より、自由・人権優先の方が幸せということ

 

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「いまなら発達障害と診断される人が、昭和の時代にはあちこちで当たり前に暮らしていた」朝日新聞1月8日・耕論・「ほどよい距離って」 精神科医 熊代亨)

 

これを読んで、瞬時に思いだしたことがある。60年前のこと。母の実家(宮城県伊具郡丸森町大内部落)に行くと、「アババ」としか言わない(言えない)障碍者(大人)がいつも顔を出した。

 

彼は、見たことない人や小さい子に興味を持つという。小さい私は、初め怖かったが、だんだん慣れてきたことを覚えている。

 

彼は、健常者の家族の中で生活し、健常者の部落で普通に暮らしていたのだ。

 

今は、こんな人は隔離して教育することが多いんだと思う。家族はこんな家族を隠す。あるいは病院暮らしを強いる。

 

60年前とひどく違う。果たしてどちらが彼にとって幸せか。いや、どちらが健全な社会か。

 

障碍者施設誘致に対する反対運動とか、幼稚園・保育園・小学校がうるさいからいやだとか。

 

これって、自己中かつ異質なものを排除かつ不寛容そのもの、どうも不健全な感じがする社会である。

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 早くコロナ禍がおわってほしいなあ。昨年なんて、日帰り旅行にも行かなかったぞ。

外食も4,5回だけだ。静岡の孫は、一回夏来たきりだ。

 

密を避ける、ソーシャルなんとか、マスク生活、ステイホーム、新しい日常?そんなの嫌だ。もうあきた。

 

見ろよ。CM。誰もマスクなんてしてないよ。密になって踊っているよ。大声で気兼ねなくしゃべっているよ。

 

見ろよ。昔のドラマや映画。集まって飲んでるよ。食べてるよ。議論してるよ。喧嘩しているよ。

 

これが普通の人間生活なんだ。あー、早く元に戻りたい。まあ、在勤はおおいにいいと思うけどね。できる人はね。

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ということで(どーゆーこと?)今年もよろしく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第一歩で防げ

昨日の相馬スタンデイングで、久しぶりに反応がありました。

 

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気温が5度くらいで風もあり、寒い中での スタンデイングでした。いつものように小学校一年生が帰っていきました。

この写真を撮っていますと、「あーあ、2大政党がほいしいなあ」と話しかけてきた同年輩の人がいます。

私「民主党政権が失敗したからなあ」

彼「運が悪かった。大震災と原発事故だ」

私「そう、運が悪かった。でも自民党政権でも同じだったべ」

彼「んだな(方言で「そうだな」の意)

「2大政党が欲しい」、まったく同感です。こう思っている人はいっぱいいると思います。だから、野党よ、しっかりしろ。早く共通政策を打ち出せ。違うところもあっていい。ここが違うと明確にしたうえで、共通政策を打ち出せ。この方が分かり良い。メインは税制。持てるところからもっと頂き、困っているところへ再分配。これで一致できるでしょう。そのほか安倍諸悪法の廃止、「原発はある段階で0」なんてところは、共通にできるでしょう。とにかく、しっかりやってほしい。

 

Prinzipiis obstra   第一歩で防げ

これは1966年11月、日本史研究大会で「現代に生きる歴史学徒の任務」と題して行われた講演会での羽仁五郎の言葉です。

 

講演会で羽仁はこんなことを言っています。(「羽仁五郎歴史論著作集」第2巻掲載)

「prinzipiis  obstra   第一歩で抵抗せよ。このあいだの戦争の場合においても、動員の赤紙を受け取った青年に向かってぼくが、君はこの戦争に行くべきではない、この戦争に反対し、僕と一緒に牢屋に入ろう、といっても、もう遅い。99歩まで来ているのだ」

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今日も掲げた私のプラカードです。

 

 

なぜこんな古いことを持ち出すのか。

日本学術会議への政府の介入問題は、全体主義への第一歩と思うからです

(いや、全体主義が進んだ結果がこの介入なのかもしれません。60歩ぐらいまで進んでいるかな)

 

政府の意向に反する学者を任命しないということは、政府による学術会議の自治の破壊です。それは、学問の自由の破壊です。このままでは、政府の意向に反する学問が委縮します。それは、政府による全体主義につながります。全体主義は危険です原発事故やアベノミクスの基本=トリクルダウン理論やコロナ禍対応策を見ればわかる通り、政府も大いに間違います。自由な学問・言論が絶対必要です

 

 

 

12月に入って、私は相馬の玉野のメガソーラー基地反対の趣旨で、経産省(オンライン会議)や福島県庁(対面会談)の役人と話し合いました。「暖簾に腕押し」という感じでした。政治家が動いてくれないとなかなか効果がありません。政治が動くためには市民運動が盛り上がらないとだめです。そうはわかっているのですが、それができません。なんでも同じですね。

今日は相馬市役所に要請に行きます。あまり期待してませんけどね。

言いたいことは言っておかないとね。

 

さて、少し早いですけど、ご挨拶します。

「ブログ知友の皆さま、多くの知識と励まし、ありがとうございました。またコメントありがとうございました。少子高齢化等の困難な社会情勢の中、しかも悪政下のコロナ禍です。大変ですが、あまり頑張らずに、頑張っていきましょう。良いお年をお迎えください。良いことがありますように。来年ブログ再開しましたなら、またよろしく」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男一匹命をかけて訴えている

よんばばさんのブログ「これもあれも年のせいか・・・」で「甘やかしが禁物なもの・・・脳」と指摘されて、近頃の自分を反省しました。

本も新聞も読まず、ブログも書かないで20日ほど過ごしてきました。面倒なことを避け、脳をさぼらせてきました。

 

こりゃ、いかん。

 

 

ということで(笑)、近頃気にかかったTVのことを書きます。

 

妻が撮っていたビデオ(いつものパターン)NHKスペシャル・アナザーストーリー「三島由紀夫  最後の叫び」です。

 

三島由紀夫は、1970年11月25日、市谷の陸自駐屯地に「盾の会」の部下4名を連れて侵入し、陸自の大幹部を人質にとって自衛隊の決起を訴えました。けれど、それが入れられず、切腹自殺した事件を扱ったものでした。

 

番組は、盾の会元会員2名、目撃した記者2名、東大全共闘の学生、当時の自衛官への取材と当時のニュース等で構成されており、中味の濃い番組だったと思います。

 

印象的なのは、三島由紀夫本人の肉声です。

 

「男一匹命を懸けて訴えている」

自衛隊違憲だ。自衛隊はなぜ自分を否定する憲法にペコぺコするんだ。」

自衛隊憲法を守る軍隊になった」

憲法改正に立ち上がるやつは一人もいないんだな」

「俺と一緒に立ち上がるやつは一人もいないんだな」

自衛隊の建軍の本義とは何だ。国を守ることだ。国を守るとは何だ。天皇を中心とする歴史・伝統・文化の国日本を守ることだ」

 

 

私は三島の意見に反対です。

(1)国を守るとは、国民の生命・自由・財産・人権を守ることと私は考えます。なぜなら国家とは、国民個々人が、自分の幸福・人権を守るため、相互の契約によってつくったものと考えるからです。(自然権=天賦人権思想、社会契約説)

 

(2)天皇を中心とする歴史・伝統・文化を守るとは、支配者の利益を守ることと私は考えます。日本列島の歴史上、天皇は支配者そのもの、又は、その時々の権力者に利用され、一般人の支配に使われた便利な存在と考えています。故に国民にとって、天皇は不必要な存在かつ危険な存在であると思っています。もし存在を認めるなら、現憲法上の規定(象徴天皇制)以外で認めることはできないと思っています。

 

(3)日本列島の歴史・伝統・文化とは、何でしょうか。それらは、時代によって全く違います。彼の思考の中心である天皇についてだけでも、大きく違います。天皇弥生時代以前にはいませんでした。明治から昭和20年まで、政治上の天皇の存在は大きかったです。しかし、その前後江戸時代、太平洋戦争後は、小さいです。三島はいつの時代の天皇を思っているのでしょうか。こんな三島の認識は、粗雑すぎて私は認めません。

 

 

私は三島の行動も否定します。

日本刀という武器を使用し自衛官に切りつけたこと、総監を監禁したことは、刑法犯罪ですが、そればかりではありません。

 

三島は、自衛隊という暴力装置懐かしい言葉です。民主党政権時代、官房長官がこう言って批判されました。唯一の合法的暴力装置でしょう。自衛隊や警察は。当たり前のことがなぜ通らない?・・会社や役所や隣組NPOや神社やお寺等々は、暴力=武器を持ってません。合法的に持っているのは警察と自衛隊です。)を使って、憲法改正をしようとしました。

 

憲法改正は、そのやり方が決まっています。「衆参各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議し、国民投票での過半数の賛成で改正される」と決まっています。これを決めたのは、国民です。三島の行為は、国民の最も大事なルール(憲法)を、ルール違反の暴力を持って変えようとしたものです。

 

私は、三島の考えも行動もひどく間違っていると思いますが、すごいと思うところもありました。

 

東大全共闘との討論に、単身乗り込んだことです。それは、意見の明らかに違う相手を説得しようとする姿に見えます。意見の違う相手を説得しようとするというのは、民主主義社会に生きる基本的姿勢じゃないのかと思います。三島と民主主義?これをどう考えるか。

 

私が接した三島作品は、小説だけです。「金閣寺」「潮騒」「複雑な彼」の3冊のみです。この三冊、印象がひどく違います。いずれも面白かったー「金閣寺」は十分な理解ができなかったーと思いますが。ここから考えると、三島は、やはり多方面に極めて才能豊かな芸術家だったと思います。

 

この番組の最後に、誰かが「三島は普通に老いることを知らなかった。それが唯一の欠点。普通に老いてくれれば、豊かな作品を残し、われらの老後も豊かになったろう」と

いいましたが、その通りと思いました。私は、高橋和巳にもそういう思いがあります。

 

 

私は1970年11月25日、授業の冒頭に三島の自決を、教授から聞きました。大学2年生でした。へえー、変な奴がいる。馬鹿なやつがいる、くらいの感じでした。三島と盾の会のことは知っていましたが、全共闘運動も盾の会も、アソビでしかないと思っていました。今でもそう思ってます。暴力装置を持つ国家権力にゲバ棒や日本刀で対抗できるはずがないと思っていました。働いていない以上、現実社会から遊離したアソビと思いました。就職した後、自分がどう行動するか、が大事と思っていました。

 

就職した私は、政治意識の高い労働組合に入りました。も一方の組合は、自分たちの待遇改善のみを目指す組合でした。われらの組合は、戦後民主主義を信奉する組合でした。故に、戦後民主主義を壊そうとする自民党政府と対決する組合でした。

 

40年弱の組合運動を振り返ると、待遇改善では成果を上げましたが、そのほかでは、ことごとく自民党政府に敗れたといえます。個人としては、私の抵抗は不徹底であり、面従腹背、あるいは悔しくても上司の言う通りということが多かったと思います。

 

私は今でも戦後民主主義が正しいと思っており、無力でも意思表明はすべきと思っています。月1~3回参加する原町のスタンデイング、月2~5回参加する相馬のスタンデイングは、その貴重な場面と考えています。今年は喪中で出しませんが、年賀状での意見表明も、その場と考えています。残念なのは、9条の会ニュースの発行です。高齢化と資金不足のため、この数年発行できていません。最盛期は月2回発行でした。重要な号は、新聞折り込みをしたこともあります。

 

 

まあ、できることをしょぼしょぼやるしかないかな、と思っています。

 

「後に続くものを信じて走れ」(井上ひさし

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年最後の播種・移植、ボランテイア、残念なこと

このところ好天が続いています。朝は冷え込みますが、日中は暖かいので、農作業もはかどります。

今日は、今年最後の種を植えました。絹さやエンドウとスナックエンドウです。どちらも、小さい株で越冬し、5月中旬から実を付けます。

今年最後の移植もしました。芯切菜(クキタチナ、カキナ)です。3月頃に食べます。来年の2月、ジャガイモの播種まで、大きな農作業はありません。

 

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見えますでしょうか。右下のごく小さな苗が芯切菜です。(播種がちと遅すぎました。この時期にしては小さすぎです)左上の糸が貼ってあるところに、さやえんどうとスナックエンドウの種を植えました。
一昨日は、今年最後のボランテイアをしました。池と道路わきの草刈りです。

 

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池です。右の方は池の中心部で、ノロが深く草刈りができません。

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池の土手です。

 

さて、近頃は残念なニュースが多いように思っています。

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その筆頭は、コロナ禍第3波の到来です。政府はこの到来を認めたくないようですが、手遅れにならないよう早めに認めて、対策を打ってほしいです。政府は、GOTOキャンペーンをやめ、その代りに補償をしっかり行い、検査をさらに強化してほしいです。これは、春にさんざん言われたことです。まさか春に比べて医療体制は強化されているのでしょうね。自治体が、地域的緊急事態宣言が出しやすいよう、政府は手当てをしてほしいです。春の予算で自由に使える予備費を十分用意したはずです。

国民に対しての、密を避ける、マスク、換気、手洗い、少人数・静かな食事、自粛要請・・・・ばかりでは、政府と言えませんよ。

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北海道の2自治体が、核廃棄物の最終処分場候補に名乗りを上げたことも、悩ましいニュースです。この自治体は、お金に困っているとはいえ、浅慮だと思います。福島の原発立地自治体の双葉・大熊も高度成長に乗り遅れて、安全神話を信じて原発に夢を託したのでした。その結果が、今の惨状です。尤も、核廃棄物はあります。原発事故はそれを格段に増やしました。どこかに最終処分場を造らなければなりません。北海道に作ってもらえば、福島県民としては助かります。しかし、福島と同じ運命が待ってませんか?心配です。原発は、決して町にほんとの発展をもたらしません。事故以前の双葉町の財政の破たんが、その象徴でしょう。どこが引き受けるとしても、原発全廃の約束(行程明示)が最低条件です。核汚染水の海水放流も原発全廃が最低条件です。

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社民党の解体は残念です。

私はかつて、旧社会党の「非武装中立」が正しい安全保障方式と考えてました。非武装中立と正反対の武装同盟が、二つの大戦の大きい原因と思うからです。(WWⅠ=独墺伊VS英ロ仏、WWⅡ=日独伊VS米英仏ソ中)

 

その戦禍を反省して、戦後、国連の集団安全保障体制(集団的自衛権行使は、正反対の武装同盟です)が平和維持方式として作られました。この集団安全保障方式の、先進の国家モデルが日本でした。集団安全保障体制の究極の姿は、個別の国家の非武装・非同盟・国際法の支配です。そのモデルとして戦後日本が考えられました。(勿論日本の軍事的無力化という目的もあります)しかし、集団安全保障体制を主導した米国が、自らこれを壊しました。

 

社民党の解党は、個別国家の非武装・非同盟=集団安全保障体制という考えの実現を目指す、日本国内の政治勢力の完全な消滅を意味します。

 

私は次のように考えています。

日本は、(現状の)武装同盟(自衛隊存続・日米同盟存続)から武装非同盟(自衛隊存続・日米同盟解消)、やがて集団安全保障方式(非武装・非同盟)を目指すべきと。

それを担う政治勢力がなくなったことは、残念です。

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日本学術会議に対して、日本政府が軍民両用の研究もするように要求しています。

これは、間違ってます。

(1)現在の問題は、菅内閣による学術会議推薦の6名の任命拒否です。その問題から目をそらさせるという意味があります。任命拒否は、学問の自由の侵害になります。勿論、憲法・同会議法違反の行為で、法の支配の無視です。邪悪な問題そらしです。

(2)学術会議が数年前に、内部の慎重な検討の結果、軍民両用の研究はしないと決定しました。故に政府の要求は、同会議の自治への攻撃です。

(3)同会議は、戦前の学問が戦争推進に使われたことへの反省に立って、軍事研究をしないという性格で設立されたものです。その経緯を無視しています。

(4)同会議も認めている通り、軍事と民生の峻別は出来ません。しかし、できるだけ軍事研究を遠ざけるという同会議の原則を外したら、研究が軍事に偏る危険性があります。安全保障は、軍事力ばかりで維持できるはずがありません。軍事力によらない安全保障が戦後日本の基本だったはずです。そちらの方に力を注ぐべきです。

(5)学問には公開性が求められます。一方、軍事研究は、秘匿性が求められます。秘匿性は、非人間的研究に手を染める可能性を高めます。故に軍事研究を遠ざけるべきです。勿論軍事研究そのものがもともと非人間的な性格を持っています。

(6)戦後日本は、同会議等の軍事研究否定という方針で、学問・技術を発展させ、40年以上にわたってGDP世界2位を維持してきました。それに自信を持つべきです。

(7) GPSとかコンピューターとかの民生技術は、他国の軍事技術から発展したと聞きます。日本で現在これらが使えているように、軍事技術起源の民生技術は、導入できます。日本は、純粋な民生技術の発展で儲けていきましょう。他国のまねをする必要はありません。

 (8)軍需と民需では、民需の方が圧倒的に大きいはずです。民需で儲けましょう。

 

負けるな、学術会議。政権は、学問に介入するな。

ということで、明日原町のスタンデイングに行ってきます。

一昨日は相馬のスタンデイングでした。

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 私も含め5名参加でした。さわやかな天気でした。

 ・・・・・失敗でした。朝起きたら投稿してませんでした。今日原町のスタンデイングに行ってきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

H君のこと

「いやー、俺もN村に就職することになった」

 

Hが笑いながら俺に言ってきた。1973年(昭和48年)3月、卒業間際のT大学のS寮でのことである。

 

N村は、福島県会津の山村である。俺がそこに就職することに決まると、「随分へき地だな」、と笑っていた。ところが、自分も同じ村に就職することになったのである。

 

職種は全く違う。

広い福島県の中で、新任地が同じなんて、極めて可能性の低い話である。しかも、人口200万の福島県の中の、わずか人口数千人の雪深い村である。奇跡であった。

 

お互い新任で仕事に夢中であり、会うこともあまりなかったが、たまに会うとたちまち大学生に戻り、何の隔てもなく、こころゆくまで話した。

 

N村ー思い出深い村。雪も深いが人情も深い村である。自然そのものの村である。

Hも俺も20代前半。好きな女性ができた。二人とも結婚しようと思う女性ができた。

 

Hは、紆余曲折の末、その女性と結婚した。現在の奥様、その人である。俺は片思いであった。告白はしたが、成就しなかった。

 

 

Hは、3年後故郷に戻ってきた。私も、同じ3年後N村を去り、5年後故郷に戻ってきた。

 

その後も時々逢った。釣りにも行き酒も飲んだ。夜の散歩時、Hの家にもお邪魔した。お互いN村(奥様の出身)のことや様々なことを話した。

 

Hは女の子3人を設け、俺は二人の女の子に恵まれた。俺は出世しなかったが、Hは、まあ出世した。

 

 

Hの能力からは、しかし、遅い出世であった。Hは、他をいかなる意味でも攻撃することができない、優しい性格の男である。その代り自分を責める男である。競争を嫌う男である。そんなことが出世の妨げになったのだろう。

 

 

2010年(平成22年)Hは、自死した。

 

次長という立場で、所長と部下の間に挟まれ苦労している、という話は聞いていた。

「所長なんていつまでもいるわけでない。次にはいい所長が来るさ」なんて慰めていたんだけれどね。

 

Hは、定年1年前に退職した。慌てて彼の家に行くと、頭を指さし「ここが悪くてね」と言った。精神を病んでいたのである。

 

2010年8月、彼に酒を誘われていたのに、俺は「涼しくなってからやろう」と言った。同年11月21日、そろそろ飲みたいなと思って電話したら、奥様「何も言わずに逝ってしまいました。」

 

 

奥様がHの母親を病院に連れて行ってる間に、Hは、逝ってしまった。孫の顔も見ず逝ってしまった。

 

 

退職に安心していた。もっと話を聞いてやればよかった。別な病院を真剣に考えてやればよかった。夜の散歩に誘えばよかった。山に登るという約束を果たしていればよかった。あの酒を一緒に飲めばよかった。

 

 

悔やむとは、こういうことだと初めて知った時であった。

 

 

Hとは、大学の寮で初めて知り合った。同じ高校の1年後輩であった。10近くあった学寮の中で、小さなS寮で出会ったのも、奇跡と思う。

 

 

今日11月11日は、命日である。彼が生前好んで飲んでいた、N村の地酒Hを、彼のお墓にお供えしてきた。もう10年になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孫の反抗  学問圧殺は戦争への道

4日前、孫のあかりは猛烈に反抗した。母親に、である。

 

事の起こりは、彼女が午後5時に眠ったことである。普通はお昼寝をするのにしなかったのである。そして7時前に目覚めた。・・・目覚めが悪かった。

 

パパがいないので、ジジババが風呂に入れることになった。もう、その機嫌の悪い事、悪いこと。ひどい目に遭った。

 

風呂から上がっても、母親に反抗した。完全にヒステリー状態である。

 

 

何が面白くないかわからない。「ママ、あっちへ行って」といって泣きわめく。

 

やっとわかった。どうやら「風呂に入りたくないのに、無理やり入れたママが悪い」ということらしい。

 

ママが「ごめん」と言っても受け入れない。とうとうママは、2階へ行った。

 

あかりは、居間から2階へのドアに手をかけたまま、泣き叫びながら決して開けない。「ママのところへ行きたいのに、ママを許せない」、というわけである。そのままで50分。

 

いやはや。わずか2歳なのに、我の強い事強い事。先が思いやられる。これって普通なんだろうか。娘2人を育てたが、こんなことあったかな。私は忘れてしまった。妻はなかったという。

 

 

このブログが存在していれば、大きくなったこの頑固な孫が見ることができるように、このことを書いておく。

 

happy-ok3さんに紹介されて知った「いのちの歌」(いい歌である!)の「育ててもらえたこと」が、わが孫にもわかるように書いておく。

 

♪♪いつかだれでも この星にさよならを する時が来るけれど

♪♪命は継がれていく 生まれてきたこと 育ててもらえたこと

♪♪出会ったこと 笑ったこと そのすべてにありがとう

♪♪この命にありがとう

 

誰でも「育ててもらえた」から存在している。

 

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学術会議推薦の6名だけの任命拒否について、内閣はまだ説明できていない。できるはずがない。

 

ほんとのことを言えないからである。ほんとのこととは、安保法制や共謀罪について、反政府的な学者を外したということである。

 

反政府的な学者を外すということは勿論、政府による学問の自由への侵害であって、憲法違反であり、学術会議法違反である。

 

 

何故学問の自由が大切か。なぜ権力による学問の自由への侵害はダメなのか。

 

 

当たり前のことと思うが、言っておく。

 

正しいことは、簡単にはわからぬからであり、いろんな意見を自由に言うことを基礎として、まじめに考えて対処してこそ、正しいことに近づけるからである。正しい事は、国民の幸福をもたらす。

 

当然、政府の考えに反する意見の方が正しい場合がある。

 

戦前には、政府の考えに反する学問は弾圧された。(すぐ前の拙ブログ参照)その結果、戦争の惨禍、人権の圧殺、国民の不幸を招いた。

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(私の今日の新作プラカードです)
 

 

それを深刻に反省して、憲法に「学問の自由」が独立して規定され(23条)、日本学術会議法で、同会の自治(会員選定は同会の推薦に基づく)が保障されたのである。

 

私は、福島原発事故という 国民の不幸も、政府の考えに反する学問を大事にしなかった

ことに事故の原因があると思っている。

 

生業裁判(なりわい訴訟)仙台高裁判決について、弁護団は記者会見(9月30日、宮城県民会館)で、次のように述べている。

 

「平年14年8月に東電から「長期評価」の見解の科学的根拠についてヒアリングをした保安院の対応は、国の一機関に多数の専門分野の学者が集まり議論して作成した「長期評価」の見解について、その構成員で反対趣旨の論文を発表していた一人の学者のみに問い合わせて、その信頼性を極めて限定的にとらえるという、不誠実ともいえる一審被告東電の報告を唯々諾々と受け入れることになったものであり、規制当局に期待される役割を果たさなかったものと言わざるを得ない、と(高裁は判断)しました。」

 

「長期評価」というのは、国が設置した「地震調査研究推進本部」が平成14年8月に出した、三陸から房総沖(つまり東日本大震災震源)での、地震が起きる可能性の評価である。

 

「長期評価」は、福島第一原発に10mを超える津波が押し寄せる可能性があると指摘していた。

 

その地震発生の可能性に対して東電は、「地震調査研究推進本部」に集まった多くの学

者には聞かずに、構成員の中の、地震発生の可能性が低いという考えの学者にだけ、考えを聞いて、対策を取らなかったのである。国もそれを東電の言うがままに容認した。

(判決文では、「東電は、原子力安全保安院(政府)に対して、この学者の考えも正確に伝えていない」、と言っている。判決文P148~P152参照。・・・それにしても判決文は実に詳細に正確に調べ、論理的に論述しているなあ、と思いました。飛ばし読みですが、厳密さだけは分かりました。)

 

 

簡単に言うとこうである。

東電と国(原子力安全・保安院経産省)は、多数の学者が堤防を超える津波の可能性を指摘してたのに、それに否定的なごく一部の学者の意見を利用して、津波対策を怠ったのである。東電の原発事業と国が推進してきた原発政策を肯定したいがためである。

 

その結果は、原発関連死者3700名以上、故郷喪失者数万、全国民の負担22兆円から80兆円なのである。(22兆円は数年前の国の試算、80兆円はあるシンクタンクの試算)

 

福島原発事故で言えることは、

東電と国は、おのれの仕事に否定的な学者の意見を取り入れず、その結果正しい事を行えず、国民に重大な被害を与えた」ということである。

 

 

政府による、政府に批判的な学者の任命拒否は、国民に重大な被害を与える可能性を高める。

 

 

また拒否された学者の多数が、安保法制に批判的な学者である。学者たちの理由は、安保法制が戦争への道を開くということである(集団的自衛権行使は、戦争参加の可能性を高める)。あるいは憲法違反ということである(立憲主義に反する)ということである。戦争参加可能性については、批判的な学者の方が正しいかもしれない。正しいとすれば、今回の任命拒否は、二重の意味で戦争への道を開くものとなるかもしれない

 

菅内閣に、任命拒否を撤回させねばならない。

 

ということで、上のプラカードを掲げて二つのスタンデイングに参加してきた。

最高気温12度、瞬間最大風速20メートルを超える寒い日であった。原町は9名参加、相馬は7名参加であった。

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 (原町駅前、午前10時)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔昔しきりに思う慈母の恩

(こちらの方を先に書き出したのですが、菅首相の「学術会議は既得権益集団」という発言を聞いて、前のブログを書きました)

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私は、数年前から家族(4名→5名)の食事の7割から8割を作っています。

 

それは、多分、現役時代殆ど作らなかった罪滅ぼしという考えから始めたものと思います。

 

今では、自給野菜にあわせて食事を作るとことから、私の仕事になりました。野菜以外の材料は、私の思いつく材料を夫婦で買ってきます。この方が面倒がありません。

 

手の込んだものは作りません。いや作れないのです。私に料理に対する研究心はありません。食えればいいが、私の基本です。

 

手の込んだものは、妻や娘に頼みます。

 

家族が文句も言わず食べてくれるのはありがたいものです。

 

さて、このような食事つくりでも、毎日となると、さすがに今日は何を作るか悩むことがあります。

 

そんな時、わが母親の苦労を想像します。

 

貧乏な家庭でした。親父は占い師でした。田舎町の手相見ですから、収入は少なく、不安定でした。母親は、土方(日雇い労務者)でした。

 

 

家族は、祖父・父母・男兄弟2人でした。男どもは、誰も食事の手伝いはしません。

 

お金のない中、毎日の食事を考えるのは、ほんとに大変だったと思います。お惣菜の出回る前です。出回っていても貧乏な我が家は買えなかったでしょう。「今日何にすっぺ」という言葉は耳に残っています。

 

今頃になってその苦労を想像できるようになりました。

 

昔々しきりに思う慈母の恩与謝蕪村、「春風馬提曲」より)

 

今も、貧乏な家庭があります。一人親の家庭もあります。病弱で働けない人も、年金が少ない高齢者もいます。コロナ禍で失業した人もいます。低賃金で不安定な非正規の人もいるでしょう。

 

一方で、企業の内部留保475兆円、8年連続最高を更新というニュースがあります。

(10月31日朝日新聞 9面 経済ファイル、2019年度)

 

こんな中で、今日も菅首相は、「自助・共助・公助」なんて言ってます。

「まず自分で頑張ってみて、次にお互い助け合って、それでもだめなら国家が」という意味のようです。

 

自助・共助なんて、政権に言われなくとも、皆やってるよ。そのうえで、どうするか、というのが政府のやることでしょう。