「複雑な彼」と「64」

 三島由紀夫の「複雑な彼」を読んだ。面白かった。ヒーローのエピソードのそれぞれが面白かった。ロマンチックでもあった。特に17歳の時のマダム・サルザールとのアバンチュールは、印象的だ。一夜出会って、その朝結婚しようとする。そんなことがあるかもしれないね。17歳であるならば。そしてそれぞれが家族などのしがらみがないならば。
 主人公のモデルが、安部譲二とのことだ。俺は彼の著作を一つも読んでなく、彼をまったく知らない。テレビで数回見ただけだ。しかも多くの出演者の中の一人として。だからまったく彼を知らないと言っていい。しかし、モデルは彼でも、主人公宮崎譲二と現実の安部譲二は違うという気がする。小説上の主人公が余りにもかっこよすぎるからだ。余りにもヒロインに対して純情すぎるからだ。この後彼は何をするんだろう。実際の安部は何をして2013年まで過ごしてきたんだろう。現実はやはり違うだろうな。
 この小説の譲二は、三島のメルヘンだと思う。あの「潮騒」の若い恋人たちのようにね。メルヘン、良いねえ。・・・そうでなくちゃ、小説を読む意味がない。
 そして2週間ぐらい前に読んだ「64」を思い出した。「64」は、警察小説である。
もはや、あらすじさえも思いだせないが、強烈に思ったのは、そして今もって忘れられないのは、男たちの仕事に対する誠意であった。誠意と言うか執念と言うか何というか。純粋さと言ったらいいか。俺はさわやかさを感じてしまった。欲得でない純粋さ。
 その純粋さと「複雑な彼」のヒーローの純粋さがなんか似ているような気がして連想したんだろうか。「64」は、横山秀雄の、俺の知ってる限りの最高傑作だと思う。