流灯会ーさよならばあちゃんー

本日は、八月三十一日。お盆の月の終わりの日。新盆を迎えた家族が、お盆で帰って来ていた親しい故人を送る日である。

ご詠歌をバックコーラスに市内の菩提寺のお坊さんたちが勢ぞろいで入場した。
読経のあと、お坊さんたちから流し灯ろうをもらって川へ。

暗闇の中で一つひとつ灯ろうが流れていく。来年の帰りを約束しながら流れていく。
川の先の方でまとまって長くなり流れていく。それは、一人ひとりの命が生命と言う大きな流れに合流していく姿のようである。

一人ひとりの命は、いくら長くても120年前後で消える。しかし子どもを残す。財産を残す。保険金を残す。働いて税を残す。消費して税を残す。生きざまを残す。言葉を残す。思い出を残す。

わが母は何を残したか。少々の生命保険、少々の貯金。それは少なかったが、他に、俺に畑を残した。畑の作り方を残した。生きざまを残した。人を思う心。謙虚な姿。汗をいとわない勤労の心。子どもや孫の愛し方。いっぱい残した。俺は、母の生きざまを手本に(彼女の全てではないが、多くの部分で、大きく役立つ参考書として)生きるつもりだ。

さよなら、母ちゃん。さよなら、ばあちゃん。さよなら、みよし。また来年のお盆においで。そのうち俺もそっちへいく。この世での役割を果たしてね。