2023年4月の平凡なある日

今朝は4時に目が覚めた。70を過ぎてからはもう眠れない。読みかけの小説を読む。

内田康夫「風のなかの櫻香(さくらこ)。表紙が中宮寺弥勒菩薩であり、それに惹かれて借りてきたが、内容は、凡庸であった。

 

6時ちょっと散歩に出た。近頃左足の調子が悪く、短い距離を歩いている。どうも数年前の小さな骨折が響いているようである。

 

田んぼ道に出ると、カラス2羽が小枝を咥えて飛んで行った。とんだ方向の川土手には、カラスの巣が見える。小枝は、巣作りの材料なのである。人が巣を取り払わなければ、夏頃可愛い七つの子が生まれるのだろう。そんなとき人間が近寄れば、子を守るため、攻撃してくることもある。

 

日本では、出生数は昨年80万を切ったそうだ。70余年前の私らは270万誕生。こりゃ国全体が変わるわな。

 

政府は、異次元の少子化対策なんて言っている。少子(笑止)千万である。安倍内閣からの異次元の金融緩和の失敗は明白である。異次元の少子化対策も間違いなく失敗するだろう。第一、少子化を招いたのは、この数十年に及ぶ自民党の失政のせいだろう。それなのに岸田内閣の支持率が高まったとは、こはいかに。日本国民の考える能力を疑ってしまう。

 

家の近くに戻ってくると中学校の理科の先生に会った。彼も散歩の途中。もう90に近いのではないのか。挨拶はしない。勿論嫌いだとか好きだとかはない。

 

但し彼には強烈な思い出が二つ。一つは、授業中げんこつで頭を思いきり殴られたこと。黙って近寄ってきてゴツン。たんこぶができた。わるいのは俺。授業中しゃべっていた。しかし、一度ぐらい注意してもいいと思うがねえ。

 

もひとつは、彼の「自衛隊に先に死んでもらうべ」という授業中の発言。このことについては、かつてブログに書いた。私が非武装の安全保障方式に惹かれるきっかけの一つを作った発言である。現在は武装中立が良いと思っている。

 

一昨日は、原町、昨日は相馬でのスタンデイングに参加してきた。相馬では、いいことがあった。通りがかりの3人連れの若い女性が、「私もこちら側で立ってみたい」と言ったこと。私達が「ご父兄の方ですか」と聞いたら「そこの小学校の教員です」と答えた。どの看板に共鳴したかわからないが、少なくとも現状に不安や不満を抱いて、まじめに考えている人がいることが分かった。

 

スタンデイングで、統一地方選挙の話は出なかった。スタンデイングの仲間は、共産党の人が多いと思うのだが、共産党の惨敗にがっかりしている風はない。私も気の毒で聞かなかった。小池書記長は、「除名問題」の影響はない、と言っているが、あるだろうと思う。少なくとも共産党シンパの無党派は同党への投票は逡巡するだろう。民主集中制なんて、普通の人に通用しない。通用するように行動してもらいたいものだ。

 

維新の一人勝ちの選挙であった。現状への不満や将来への不安は結構あるだろうに、それが立民や共産や社民に流れず維新に流れたのは、残念である。私は、維新が削る公共資産(教育・医療・文化芸術)が大事と思うからである。また維新が進める軍事費増・憲法改正に反対だからである。

 

それにしても一番大きな問題は、投票率の低さである。少数の例外を除いて、過半数が投票していない。これじゃお世辞にも民主主義と言えない。困ったことだ。

 

今日は、午前中は買い出しと読書。午後から夜は、畑仕事・読書・昼寝・孫のお迎え・夕食作り・孫と遊び・読書で過ごした。

 

読書は、青山文平「やっと訪れた春に」と「遠縁の女」である。前者は、ミステリー仕立てで、武家の強烈な生きざまが描かれていた。後者は、中編3つである。今2つを読んだ。「機織る武家」「沼尻新田」の二つ。いずれもまあ面白かった。青山の時代小説は、経済のことが結構書かれていて、私の好きな山本周五郎藤沢周平と違う。経歴を見ると、経済関係の出版社勤めをしてたそうだ。なるほど、と思った。表題作は明日。

 

明日は友人を病院に連れてく予定。彼は要介護3である。なるほど男子の平均健康年齢は、73とか聞いた。73の俺もそろそろ大きな病気でもして、自立が難しくなるかな。