ざらつく心

夜勤明けのざらつく脳みそのまま、散歩に出た。久しぶりの昼の散歩だ。

ざらつく頭をさらにざらつかせる張り紙を見た。小学校のそばの小道で。
張り紙の内容はこうだ。
「ゴミ出しの曜日を守れ。いつも守らないものがいる。”ほし”が分かったら警察に通報する」という張り紙だ。

いくら頭にきても、”ほし”という言い方はないんじゃないの。それは、刑法犯を警察がよぶ呼び方だ。ゴミ出しの曜日を守らないというのは、”ほし”と呼ぶほどの犯罪だろうか。それ以上にこの張り紙を出した人は、警察官なのか。そうじゃあるまい。自分をいったいなんだと思っているんだ。市民が市民をこんな言い方で呼ぶのは良くない。

「曜日を守らないと皆の迷惑になります」ぐらいでだめなのか。こんなことでは守らない人がいるのか。いるんだろうな。それも心がざらつくな。それにしても一市民が同じ市民を犯罪者扱いし、それを国家権力側に立って指弾している。いやだなあ。

軽い気持ちで言っているんだろうなあ。それにしても軽い気持ちでこんなことを言う人がいる社会は、良くないなあ。

その後、畑で農作業している人を見、話を少々した。今日、はいっぱい作業している人がいる。そんなこんなで気分が晴れた。

帰り道、哀しいものを見た。

遠く同じ毛並みの三毛猫が2つ路上にいる。小さい方はしゃがんで、大きい方がまるで「大丈夫か」という感じで、座り込んだ方をのぞいている。近寄っていくと大きい方は、道路の端っこに俺を避けた。小さい方は座り込んだまま。さらに近づくと、この猫がひどく痩せているのが分かる。目をつぶって道に顔を横向けにつけている。

60歳後半くらいの女性が通りかかった。女性も「あらまあ」と言って立ち止って見ている。「食べてないんだ」。「捨て猫なんだ」。
俺に「猫飼える」と聞く。俺は首を振る。
「この家の猫じゃないの」。
「いいえ。近頃捨て猫多いんだ。私の友達の家の前にも捨て猫4ひき捨てられてた。」「おおいやだ。戻ろう」と言って、彼女は、もと来た道を戻っていった。俺もそれを汐にその場を離れた。

あれは親子なんだろうか。兄弟姉妹なんだろうか。住宅街の裏通り。車にひかれる心配はまずない。食いものでも与えてみようか。おっとお金を持っていない。いつかあるところで畑正憲が言っていた。「「ペットの飼い主は、そのペットが飼えなくなったら自分で殺す覚悟で飼え」そんなことを言っていた。

その通りだ。

次に近頃読んだ内田樹の「悪を考えるシリーズ2」を思い出した。確か「悪は、相対的なもの」のような主張だったかな。定量的に判断せよだったかな。曜日を守らぬ悪、それを犯罪者呼ばわりする悪、猫を捨てる悪、ペットをじぶんで殺すのは悪ではないか。俺やおばさんのように見捨てるのは悪でないのか。

頭が混乱してきた。おっといよいよ眠くなってきた。今晩も夜勤だ。下らぬことを考えずに早く寝よ〜。