「散り椿」と「もうひとつの余命」

葉室の「散り椿」を読んだ。

良く言えば「贅沢」、悪く言えば「てんこ盛り」(悪意味かどうか良くわからぬが)とおもった。

男同士の友情物語でもあり、男と女の愛情物語でもあり、中心人物の一人の甥っ子の成長物語でもある。

藩の政治権力争いでもあり、剣戟の楽しみもある。ミステリー調でもある。

まあ面白いが、「ヒグラシの記」のような感動はうすいな。多くのことを言いすぎだからだと思う。まあ読者それぞれの読み方でいいか。

俺が興味を持ったのは、愛情関係だな。ヒロインは、誰を愛してたんだろうか。「くもる日の影としなれる我なれば目にこそ見えね身をば離れず」という歌の解釈が物語の推移に従って変わってくる。・・・ヒロインの気持ち分からないな。

詩の解釈では、浅田の「活動写真の女」を思い出す。ワーズワース(未確認)の詩の「0r」の解釈。

昨日書いた分からないと違って、こちらのわからないは気持ち良い分からないだ。良いねえ。分からなくて。

夜勤明けの車の中で、ラジオで「もうひとつの余命」という話を聞いた。すっきりしていて感動した。池田はるみ?という人の作だそうだ。


散り椿」の作者のこの本のうたい文句「自分の役割や相手の思いを探っていくことで自分の本当の思いに気づく。その過程が描きたかった」



なるほど、そういえばそう読める。「散り椿」は。しかし、ラジオで聞いた「もうひとつの余命」の方が、自分の役割、相手の思い、自分の思い」に合致してたと思った。


夜勤明けかつ明日明後日休み。うれしいな。睡眠不足なのに眠くない。さあ、なにしよう。 休みとれない人たちごめんね。