特攻隊「震洋」について思う(2)

木村禮子編「海軍水上特攻隊震洋」は、神奈川県三浦市にあった第56震洋隊岩舘部隊の記録である。岩舘と言うのは隊長名である。

岩舘隊は、昭和20年5月25日に編成され、6月10日基地に進出し、8月20日過ぎ解散した総員183名の部隊である。出撃は一度もなく、戦死者などは皆無である。

この本には、岩舘隊員の手記や岩舘隊に関係した人びと(本部になった寺の住職、宿舎の人など)の証言が載っている。
そのうち一番私が関心を持つのは、特攻隊に出撃する時の気持である。出撃するとは、即死ぬことである。当時特攻隊員は、16から17歳である。今でいえば、高校1、2年生である。彼らは、自分の生と死にどんな折り合いをつけたのだろうか。

「わが16歳の青春」と題した手記の中で、齊藤氏は、出撃の気持ちを次のようにいう。

>我々の命もあと3、4時間。夜空の星を眺めて静かに思い浮かぶものは、少年時代に飛び回って遊びに暮れた山川、海、海岸。また学びの学舎の小学校、中学校時代の生活等が瞼を通して頭の中を駆け巡る。
しかし、戦局は日々に重大化し、究極の目的は唯一祖国の勝利で、親、兄弟姉妹を愛し、友人を愛し、同胞を愛する故に、彼らの安泰を置くために、自分も犠牲にならねばならぬ。祖国が敗れるなら、親、兄弟姉妹、同胞も安らかに生きていくことが出来ぬのだ。われら特攻の屍によって祖国が勝てるなら満足ではないか。・・・<

昭和20年8月1日夜半。敵大輸送船団が迫ってきており、「出撃準備、待機」の命令が下った時の気持である。


これは、40数年後の述懐であるが、嘘はないと思う。こんな気持ちを何と言ったら良いんだろうか。純粋。純真無垢。自己犠牲。無私。・・・このような気持ちは、「きけ、わだつみのこえ」にも吉田満戦艦大和ノ最期」(角川文庫)にもあらわれる。特攻隊員と限らないが、「戦没農民兵士の手紙」(岩波新書)にも同じ気持ちが表れている。自分の狭い読書範囲でしか言えないが、多くの兵士や特攻隊員に共通する心なのだろうと想像する。他への犠牲的愛だと思う。美しい。尊い。言いようがない。たとえ、洗脳だとしても。

しかし、政治家が「尊い犠牲に尊崇の念を表す」ため、靖国神社に参拝することには、醜さを感じる。無責任を感じる。卑怯を感じる。政治家とは、国民の命を守るのが仕事ゆえだからだ。自分の仕事の失敗なのだ。もし参拝するなら、「私たちの先輩の失敗で尊い命を失わせてしまいました、ごめんなさい」「二度と戦争を起こさないようにします」と意思表明すべきだろう。その意志表明には靖国神社は、ふさわしくない。同神社は死者を差別し、戦死を称揚し、国民の命を国家に奪い取ろうとする装置だからだ。

国民が、政治家の靖国参拝を認めるのも、思慮不足と思う。国民が政治家の靖国参拝を認めるとは、自分の命を守ってもらうため、他者の命の放棄(あるいは、死の可能性の増大)を認めることだと思うからだ。政治家も国民も、同じ国民が命を落とさぬよう努力すべきなのだと思う。

故に、1.紛争の平和的解決の原則宣言(現憲法遵守宣言)2.国際司法裁判所での解決宣言、3、集団安全保障の機能強化に努力、4.相互不可侵条約締結、5.相互依存強化、6.各レベル(政府、自治体、民間所団体、個人)での相互理解推進、6.人類に役立つ貢献、7.外交努力に全力を傾けるべき、と思う。(拙ブログ、カテゴリー平和参照)

それでも侵略された場合は、7.非暴力的抵抗運動、8.非武装無抵抗を原則とするが、これに国民が同意できない場合、9、自衛隊による専守防衛で対抗すべきと考えている。だから、1から7に努力を傾けず、専守防衛をやめようとしている安倍政権は打倒すべきと思っている。安保条約は、戦争の機会を増やすので廃棄すべきと思っている。抑止力理論は、危険と考えている(拙ブログ、カテゴリー平和参照)

次に思ったこと。拙ブログ「永遠の0」の感想(2014.1.8)でも書いているが、特攻隊員の死は、無駄死にではないかという疑問のことである。
この本の第56震洋隊の出撃の日8月1日の数日前、7月26日ポツダム宣言が出されている。政治・軍事指導部は、国体の行方が心配という、ただそれだけの理由で宣言を受け入れず、結局黙殺と言うことになった。つまり、政治・軍事指導部には、とっくに敗戦がはっきり見えていたのだ。祖国の勝利はもうない。その時点での死は、やはり無駄死にと言えそうだ。
正確に言おう。政治・軍事指導部により無駄死にさせられたと言い得ると思う。そこから、政治・軍事指導部の責任を追求すべきなのだと思う。「無駄死になんて言うな、かわいそうに」という感情はわかるが、それは、指導部の無責任・失敗の罪を許すこととなる。

実は義父は、この第56震洋隊の特攻隊員であった。(だからこそこの本がある)あの8月1日に、敵大輸送船団が「夜光虫の見誤り」(情けない軍隊だ!!戦う資格なし)でなく本物であったら、義父の17歳以降の人生はない。故に現在のわが妻の存在はない。

義父は、私が聞くと、「若かったので、特攻で死ぬことは怖くなかった」と言っている。ほんとであろうか。私は、忘れたんじゃないかと思っている。・・・

私は想像する。数時間後出撃する、その時を待つ怖さを。私は、死が怖い。自分の都合で他人に死の恐怖を与えるのもいやだ。故に、集団的自衛権行使はもちろん、自衛隊による専守防衛にも、原則反対である。死刑制度にはもちろん反対である。(私は集団的自衛権は抑止力として認めないが、集団安全保障は、抑止力として有効と認めるゆえ、自衛隊の武力が本来の集団安全保障に使われるのを認める)