「靖国の妻」の70年後

昭和21年(1946年)8月24日の「天声人語」にこうある。

靖国の妻、という言葉があった。戦死者未亡人のことだが、この言葉には、宿命的に英霊の妻だという封建的な神秘主義が潜んでいる。日本では、夫に死に別れた未亡人は、厳しい家族主義に阻まれて、一体に再婚できない風習に縛られているが、戦死者未亡人の場合は、社会的監視が一層厳しいようである。・・・」と始まる。

これは、「新民法個人主義に賛成する」立場から「靖国の妻を人間として開放すべきである」と主張し、「亡き夫に対する思慕の情けのやみがたきは、日本女性の美しい心だが、それを家族や親類や隣近所が、封建的な「嫁」の観念で、外部から強要すべきものではあるまい。」と述べている。

靖国の母という言葉は聞いていたが、靖国の妻というのは知らなかった。この天声人語の主張は、現代から見てまったく当たり前のことである。

しかし、当時わざわざこのようなことを言わねばならなかったのは、戦前の日本が、いかに女性に対して非人間的であったかの証拠である。女性を一個の人格として見ていなかったのである。家への奉仕をせよという生き方を強制していたのである。しかしこれは、女性に限った話で、まったくない。
誰が、女性を一個の人格と見ていなかったか?「天声人語」氏は、家族や親類や隣近所をあげているが、その背景には、国家があったことを忘れてはいけない靖国の母や妻や子の中心には「靖国の英霊」がいる。英霊とは、戦死者を敬った言葉である。誰が敬ったか、国家である。国家が、国家の、ある何かを守るため、戦って死んだ兵士を顕彰する考え方である。「命まで捨ててくれて偉かった。神として尊崇する」。死を顕彰し、あとに続く個人の命をも要求する装置が、国家護持の靖国神社である。

教育勅語が、これからの人を教育し、靖国神社が戦死者を顕彰して、個人を国家に奉仕させようとする国家主義の装置であった。その副産物が、靖国の母や妻や子である

ここから私の考えは、戦後日本について思い及ぶ。戦争を放棄した戦後日本について考える。・・・そして混乱する。霧の世界(昨日「相馬は、8月の日照時間全国最低」というニュースが流れた)のように、明瞭に見えない。

例えばこうである。

日本国が、個人を大切にし、人権を大切に、国際紛争を武力で解決しようとしない(国際ルール)国だとする。要するに理想の国だとする。中国や北朝鮮という、個人や人権を大切にしない国が侵略してきたとする。

侵略されない手は、いろいろあると思う。国際法・国連・地域的集団安全保障・日米安保自衛隊・外交・・・。それを考えることは、最も大事である。

それでも侵略された場合どうするか。今の私は、自衛隊に戦ってもらうほかないと考える(専守防衛)。しかし、自衛隊に戦ってもらうというのは、自分の財産・命・自由・人権を、他人の(自衛隊員の)命で守って貰うことになる。それでいいか?という疑問である。
自衛隊員は、それが仕事、命を懸けて仕事するという了解をもらって、自衛隊員になり、金をもらっている、だから当然とも考えられる。しかし、自分の命が大切なら、自衛隊員の命だって大切じゃないか?ここで私はわからなくなる。中学時代以来の、多分死ぬまで解けない疑問である。いやボケるまでの、である。ボケたら何も考えないだろう。それは近そうだ。

少なくとも、日本国が自由・人権・平等を目指す理想の国であるよう、戦争に巻き込まれないよう、侵略されないように、勿論戦争しないように、各人が行動すべきことは、分かる。

題から離れてしまった。

このお盆、「英霊に贈る手紙」を読んだ。これは、靖国神社遊就館特別企画として編まれたものである。一昨年靖国神社で購入した。戦争で死んだ兵士たちへの、遺族からの手紙である。靖国神社が手紙を募集したのは、終戦70年の一昨年で、現代からの手紙といえる。読んだ感想を述べる。

(1)靖国神社は、いい仕事をしたと思う。というのは、残された遺族たちの、敗戦後70年の気持ちを残すことになったからである。子や孫の手紙もあるが、妻のものもある。妻は、90才代である。気持ちを残すとすれば今しかない。妻は、靖国の妻である。貴重なものである。編集して出版した靖国神社に感謝する。

(2)巻末には、投稿された手紙583通の宛先(死者の軍の位階・名・死没年月日・年齢・戦没地)と投稿者の続柄と名前が一覧になっている。それが31ページになる。600名弱で30ページである。延々続く、死者と遺族の戦争の(戦後も含む)辛苦の情報(想像できる)に圧倒される。

兵士・軍属で死んだのは、国全体で確か、200万をこえたはずである。戦死者全員の一覧表を作ると、どのぐらいのページになるか。靖国神社への手紙数を600通、全死者を200万名とすると、1ページに20通(人)。200万÷20=10万。なんと10万ページである。その一人一人に苦楽の人生があり、それに数倍する遺族の人生がある。死者はもちろん遺族も痛苦の人生を送った。なんと、大日本帝国は、臣民(戦前)・国民(戦後)に痛苦を与えたことか。戦争によって死んだのは、靖国に祀られる兵士・軍属のみでない。祀られていない、米国の無差別射撃・爆撃によって殺された一般国民も多い。沖縄では、日本軍により殺された国民もいる。アジア・太平洋戦争の日本国民の死者数310万という。

しかし、さらに忘れてはいけないことがある。大日本帝国侵略戦争により、東アジア・東南アジアに、日本の死者を、はるかにはるかに超える死者を出してしまったこの手紙に記された遺族の苦しみと同じ苦しみを、いや質量ともにはるかに大きい苦しみを、戦前の日本は、他国民に与えたのだ。この罪の深さよ。そして戦争の罪深さよ。


(3)投稿された手紙の中で選ばれた60通は、いずれも重いものであった。戦死した父・兄・弟・おじいさん・叔父への、遺族の追悼の気持ちが切々と表れている。特に妻の手紙には、読んで襟を正さずにいられない。妻の手紙とは、「靖国の妻」である。涙が出たのも、再々である。彼女たちの手紙には、70年もの間の、亡き夫への変わらぬ愛と戦後の辛苦の生活が刻まれている。手紙を引用したい誘惑にひどく駆られる。それは多分、著作権法違反でまずいだろう。(一旦は、5名の「靖国の妻」の手紙を抜粋したが、消去した)

再婚した人の手紙が一通あるが、手紙の多くの人は、再婚しないで苦労に苦労を重ねて、子供を育てた人達の手紙である。靖国神社がどのような基準で600通の手紙から、載せる手紙を選んだかはわからぬ。
私は、あるいは、このような人生を生きるのが理想だ(「天声人語」さんの言う、封建的神秘主義、厳しい家族主義)との手本を示したかったのかとも考える。

彼女たちのように生き得なかった女性も多いだろう。200万の戦死した兵士のうちどのぐらいの人が、この世に妻をあるいは子を残して死んだか。

岩手県のある農村の、「靖国の母」の記録集「あの人はかえって来なかった」(岩波新書、昭和39年初版)を思い出す。かわいそうでかわいそうでいられなかった。彼女たちはその後どのような生活を送れたのであろうか。

(4)私は、2年前靖国神社遊就館を見学した。遊就館は、靖国神社の近代日本の歴史への見方を示す。それは皇国史観であり、軍国主義国家主義の肯定の歴史観である。戦前の日本の暗い部分を否定する。例えば南京事件は、「便衣隊掃討」と表現している。日本軍が民間人を殺害したことは言わない。世界からは笑われる、あるいは危険視される歴史観である。

しかし、その時買ったこの「英霊への手紙」を読んだ私の読後感は、靖国神社の思想を否定するものである。70年もたち、色は淡くなったが、「あの人はかえって来なかった」と同質のものである。

靖国の遺族たちの手紙は、平和への願い、戦争はダメだ、戦争は嫌だ、とはっきり言わないまでも(明確に言っているものも結構ある)声に満ち溢れている。

私に、夫を「靖国の英霊」にしてはいけない、妻を「靖国の妻」にしてはいけない、子を「靖国の孤児にしてはいけない、と心から思わせる内容であった
夫を奪われたくない、子を奪われたくない、父を失いたくない、それは基本的には他国の人も同じだろう。

戦争が起きないような工夫をしなければならぬ