うーん、哀しいなあ、しかし頑張ろう。

金目とは、どういう言葉だろう。余り聞いたことないな。少なくとも座りの良い日本語じゃない感じがする。石原環境大臣は普通に使ってるんだろうか。俺は使わない。普通に使う言葉なんだろうか。「金目当て」と言う言葉はよく聞く。その略ではまさかあるまいな。
まあ、言われているように、最後は金の問題、金で解決と言う意味なんでしょうね。

しかし、そりゃー言っちゃいけない言葉だ。

原発事故が起こった直後から、双葉・大熊は最終処分場になるんじゃないかと地元でひそひそと言われた。普通に考えると、危険物を他の地域に押し付けることは出来ないんだから。今もいっぱいあるところに置くしかない、そんなこと誰にでもわかることだ。しかしそれをそこに住んでいた人に要求できるのか?
「金くれるから、君の家・生業・人間関係・過去・伝統・未来・故郷をよこせ」と言えるのか。誰もそうは言えないので、双葉・大熊の人がいないところでひそひそとしか言えないんだ。

それを、自民党の一員である石原大臣が、金を一杯積めばいいだろうなんて言っちゃいけない。
自民党原発政策を推進してきた。危険も指摘されていたのに、その対策はしてこなかった。その責任をまったく感じてないんだ。責任も取っていない。そして金目発言、哀しいなあ。

先ず、自民党は、原発推進の責任をとれよ。政府を作っていたのも自民党。政府としての監督責任もあるんじゃないか。東電にも東電関係者にも責任を取らせろよ。それからだろう。全ての話は。


この3日間、近衛龍春「慶長・元和大津波 奥州相馬戦記」を読んでいた。長い長い小説である。この本は、相馬藩につながる人々への応援歌でもある。
この本は、相馬義胤と言う殿さまの活躍を描いている。時代は戦国末期〜秀吉時代〜3代将軍徳川家光の時代である。家を存続させるのが大変な時代である。

北の強大な伊達正宗という天敵との戦い。秀吉との駆け引き。有名な伊達正宗の小田原参陣よりも遅く義胤は秀吉に参陣している。それでもなんとか生き延びている。
一番の危機は、関ヶ原の戦いである。相馬は、関ヶ原の戦いでは、恩義ある三成に心よせ、一度は改易になった大名である。それを義胤・蜜胤父子が何とか逆転して本領安堵される。相馬は、その後も慶長・元和の2度の大津波等等多くの試練をくぐりぬけたのである。

この旧相馬藩の南部が双葉・大熊地区である。産業のない地域が貧しさから抜け出すため、原発を導入する、それを批判できるだろうか。ちょうど高度成長時代、多くの地方が工場を誘致したように。原発は安全だって、政府も研究者も言っていたんだぞ。もちろん「危険だ、不経済だ、子孫への負の遺産だ」と言う意見もあった。それも考えるべきであったとは言える。地元の反対派の意見を聞かなかったという責任はある。
しかし、推進した側に比べてずっとずっと責任は軽いと思う。双葉・大熊の人たちは「金をくれるから命以外の全てをよこせと言われるほどの責任なんてないよ。

誰かきちんと責任を取ったかい。東電を解体して、その負債を責任の軽重に応じて分担するのが正しいやり方だろう。そんなことやってないで、被害者に最後は金だろうだと、馬鹿にするな。


私も藩政時代であれば、双葉・大熊の人たちと同じ旧相馬藩の人間である。私は地元の歴史に興味のない人間である。しかし、旧相馬藩が激動の時代、自分の知恵と勇気と努力と誇りで多くの危機を乗り越えた事実は、少しは聞いている。
この本はそれを詳細に教えてくれている。

頑張れ、旧相馬藩に属する人々よ。未曽有の被害を受けた人々よ。頑張って生き延びてきた先祖を思い出そう。

いっぱいお金をもらって別の地域で新しい生活を築いてもいい。一杯お金をもらうことを恥じる必要はない。国有地以外の双葉・大熊に住んでもいい。その場合安全を確保させることは当然だ。事故の責任は追及すべきだ。もちろん自分の何らかの責任も考えるべきである。自分の責任を認める人が、もっと大きい責任を持つ人を追求するのは強いと思う。