苦渋の選択

とうとう、双葉・大熊町への中間貯蔵施設設置が決まった。

皆、枕詞のように「苦渋の選択」と言う。双葉・大熊町民には、苦渋の選択であったと思う。福島県民にもかなりの苦渋であると思う。

福島県民は、中間貯蔵施設がなけりゃ除染が進まないので、両町の町民(特に中間貯蔵施設に隣接地の町民)や隣接市町村の人に「すまん。わるいなあ」と言う気持ちで、苦渋の選択なのである。不条理なのである。

政府や東電やムラ住民は、口では「苦渋の選択を重く受け止める」なんて言いながら、住民の痛みなんて考えちゃいないと感じる。痛みを感じるなら再稼働なんて出来ないはずだ。原発輸出なんて出来ないはずだ。

俺は、原子力村の人々は、中間貯蔵施設が出来たことで喜んでいるんじゃないかと想像している。原発の一番の隘路=最終処分場がないということが解消したからだ。30年後に福島県外に最終処分場なんて、誰が信じるかい。事故直後から、放射性廃棄物は「あそこに置くほかないべ」と言っていた。普天間基地だって皆引き取るの嫌がったのだぞ。おっかない放射性廃棄物を引き取るところなんてある?今あるところに置けとなる。つまり、最終処分場の出来上がりだ。万歳。

この不条理を解消は出来ない。しかし、この不条理を起こした者たちには、責任をとって
もらうべきだ。東電解体と原発廃止。