映画「哀愁」と従軍慰安婦

秋が突然来た。そんな感じのこの数日だ。何せ最高気温が22度とか23度なのだ。も一度夏が来るのだろうか。

腰痛がようやく楽になり、久しぶりに昼の散歩に出かけた。

茄子は、どの畑も勢いがない。俺の畑も同じだ。この気温と天気だもの、当たり前。サトイモは、いいなあ。しかし俺の畑の方がもっと大きいぞ。白菜は、ここの畑の方が成長が早いなあ。・・・いつの間にか自分の畑と比べている。競争心もある。

しかし、学力テストの順位発表の様に、誰かに何かに競争させられるんじゃないぞ。競争心を持つというのと競争させられるというのは、大違いだ。

帰ってきてまた古い名画を見た。「哀愁」と言う映画だ。

「簡単に稼げる仕事だ。・・・それは、女を知らない男のセリフよ。」主人公マイラの友人キテイが、売春婦になった時の言葉だ。

バレー団を首になり、自分とマイラのため生活のため、売春婦となったキテイの言葉だ。
マイラもまた売春婦となる。それが多分、悲劇を起こす。

近頃朝日新聞への攻撃が一部の政治家にあり、一部のジャーナリズムを賑わしている。鬼の首をとったような騒ぎをしている。

それは、馬鹿騒ぎと言うものだ。軽薄だと思う。

朝日新聞誤報をいくら追及しても、従軍慰安婦がいなかったことにはならない。軍=国家権力が関与しなくとも、従軍慰安婦はいた。強制性があったか、なかったかは、瑣末的なことだ。慰安婦もお金をもらっていたなんてのも下手ないいわけだ。「女を知らないおとこのセリフ」は、よそう。

キテイもマイラも喜んで売春婦になった訳ではあるまい。従軍「売春婦」も喜んでなった
わけではあるまい。日本のいや世界の全歴史が彼女らの幸福を壊したのだ。

当時は、公認の売春制度があったとか、他国の軍隊だってあったなんてのも下手ないいわけだ。見苦しい言い訳はよそう。言い訳すればするほど、現在の国益を、日本の品位を落とす。日本による植民地化や侵略がなけりゃ従軍慰安婦もなかった。言い訳はよそう。

軍が直接関係しなけりゃいいんじゃないの、強制的でなけりゃいいんじゃないの、
お金上げてればいいんじゃないの、他国だってやってたんだから俺たちだって悪くないんじゃないの、・・・こんなことを言う日本が恥ずかしい。恥を知れ。国益を損じている。

私のDVD「哀愁」は、婚約者ロイが帰ってきて、マイラに再度プローポーズをして、マイラもその気になったところで、視聴不能となっている。映画の冒頭から想像すると悲劇に終わるのだろう。