ドゴール空港近くのホテルにて

ヨーロッパ旅行の初日、ドゴール空港の近くに泊まった。

成田では、ユーロの小銭がもらえないので、枕銭のためホテルの飲み屋で水を買うことにした。ところが哀しいことに言葉が通じないので、ペットボトルを持っていったら、水を恵んでくれた。しょうがなので、ビールを頼んだ。中瓶くらいで6ユーロであった。枕銭はできたが、その時ウエイターに言われたのが、「謝謝」であった。中国人と間違われた。思わず私は、「we are japanese」と言った。そしたら、ウェイターは、「どうもありがとう」

私は、自分の中に中国人と間違われたくないと言う強い気持ちがあることを知った。

次の日のルーブル美術館での出来事。私たちは28人のツアーであった。そこに数百名の中国人の団体客。私達の現地ガイドは、「割り込まれた」といって、「こっちへ来い」と言い先頭の方へ我々をみちびいた。その時、中国人ガイドが多分中国語で、私達の現地ガイドを非難。非難された我々のガイドも多分フランス語で大声で応酬した。結局どちらが割り込んだのか、どうなったかわからぬまま入場した。その日のパリ市内の老舗デパートで、私たちはブランド物売場で複数の中国人行列を見た。その購買力の強大さ。貪欲さ。

ルーブル美術館内の人ごみ)

私は思った。この13億人の巨大国家と軍事力で争うなんて考えちゃいけないよ、勝てやしない、ひどいやけどをすると。賢くやろうよと。外交と国際世論と国際法のルールの中に中国を引き込む作戦を考えるべきだ。米国との軍事同盟強化一辺倒(歴代自民党政治、特に安倍安保法制)で対抗しようと言うのは危うすぎる。米国が日本を売る可能性もあるからである。米国は米国の利益で動くという原理を忘れるな。安倍首相はそれを忘れている。

作戦の中心は、日本国憲法の原則の再宣言である。つまりは日本は、国際紛争は軍事力では解決しない、国際調停機関にゆだねると言う宣言である。それが世界でも認められているやり方なのであるから。国際世論を味方にできる。中国も国際世論に逆らっての行動はしにくい。中国は世界中に資源を求め市場を求めて生きている国だからである。大国としての体面もあろう。多分これには中国は弱いと言う気がする。大国としての体面をくすぐる作戦も考えるべきだ。

武装中立(安保条約廃棄)も選択枝として考えておくべきである。米国は米国の利益でしか動かないのであるから。少なくともそれを米国との交渉でちらつかせるべきである。最悪状態も考えておくべきである。日本国の、中国による属国化。日本の歴史上そのようなことは多かった。戦後自民党政治は、米国の属国化を前提の政治であった。安倍政治なぞはその典型である。驚くべきことじゃない。

無人島(尖閣)などを中国に獲らせてそれを永遠に非難すると言う作戦は、是非頭に置くべきである。その時日本国民はしめたと思わなければならない。その時逆上してはいけない。賢く生きるべきである。かつての大日本帝国が中国大陸を侵略し、それを今もって中国に非難されるのであるから、直近の被侵略(尖閣侵略)は有利である。

中国に隙を見せてはいけない。過去の侵略は永遠に謝っていけばいい。侵略が悪いと非難している国(中国)は、自分からの侵略をしずらいだろう。戦前の日本が侵略じゃなかったなんていうニュアンスの安倍や一部自民党は馬鹿である。中国に、「戦前の日本のようにしても侵略じゃない」と言っているようなものである。

私達のツアーガイドは言った。「ヨーロッパ人は、それぞれ近隣の国家の人と思われたくない。たとえばドイツ人はフランス人と思われたくない、フランス人も同様。」私もその通りと納得する。私も中国人や韓国人と思われたくない。

独仏は何度侵略し侵略されたか。憎悪の応酬を何度したことか。ナポレオンよるドイツ領域支配。ベルサイユ宮殿でのドイツ帝国設立宣言。フランスによるドイツいじめのベルサイユ条約ヒトラーによるパリ占領。そんなことを乗り越えてのEU結成。すごいことである。東アジアでも、我らの一つの生き方として頭に置くべきである。
(ベルサイユ宮殿鏡の間の天井)

ヨーロッパ旅行をしてそんなことを思った。