安倍談話を読んだ感想

朝日新聞で安倍首相談話全文を読んだので、その感想を述べます。

(1)一応「侵略」「植民地支配」「痛烈な反省」「お詫びの気持ち」「深い悔悟」
という「言葉」が入っていて安心した。これらを入れないと、中韓欧米から非難され国益を損なうので、一安心した。本心では言いたくない首相に、言わざるを得なくしたのは、米国・中韓の圧力及び日本の学者達(21世紀懇談会も含めて)の働きかけであろう。そして何より日本国民の反安倍の運動の盛り上がりと思う。いや、多くの国民の安倍的戦前肯定的歴史解釈への反対の意思表明であろう。いや違うな、歴史的事実そのものが言わざるを得なくしたのだと思う。

(2)一読、訴える力のない文章という感じを受けた。本来は語りなので、文章とは違うと言うことがあろう。しかし、同時掲載の村山・小泉談話の文章に比べて、文章として訴える力が落ちると感じた。それは、自分がどう思うかを明確にしていないからだと思う。
主要な文章が、客観的に述べると言うスタイルになっている。主語がない文章と私たちという主語の文章である。私は、こう思うと言うことが不鮮明である。これは、当たり前だ。安倍さんは、言いたいことを言えずに、言いたくないことを言わざるを得ないからである。


(3)歴史の解釈及び将来への展望は、私(内閣)の主観的思いであると思う。客観的なものではない。1+1=2とは違うと思う。それなのに、安倍談話は、自分の思いの筋が通っていない。それは、第12段「我が国は、・・痛切な反省と心からのお詫びをしてきた」という言い方に典型的である。私は、反省とお詫びをすると言っていない。だから弱い。まあ、言いたくないのに言わざるを得ないんだから仕方ないよね。ねえ、安倍さん。


(4)「侵略」という言葉があるが、戦後の日本の行き方として否定するという文脈で言っている。また「植民地支配」も決してしてはいけないと戦後決意したと言う文脈で言っている。本来であれば、第8段、9段の「戦火を交えた国々でも・・・」の段で言わないと文脈としておかしい筈である。やはり日本の侵略とか植民地支配なんて認めるのいやなんだよね。安倍さん。・・・「少し言うのは仕方ない」だよね。ねえ、安倍さん。

(5)日本国憲法の文章を使っている部分があるように思うが、日本国憲法と明示していない。よほど日本国憲法が嫌いなんだね。

というわけで私は、あまり高い評価はしません。出しても無意味な談話でした。心底思うところを言ったなら、内外から攻撃され内閣が吹っ飛ぶと思う。そうなった方が良かったかとも思いました。


今日は、終戦記念日。(慣用にしたがう。安倍談話で敗戦と言っていたのにはびっくりした。これだけは立派。まあ、文章的には、終戦とは言いいにくい文章ではあるが)

今日は、お盆で死者たちが各家に来ているだろう。300万の日本国民、2000万(自分が習った歴史教科書に従う)の他国の死者を出したアジア・太平洋戦争(近頃の言い方に従う)の死者もきているだろう。彼らへの供養は、戦後レジームからの脱却や「軍事力による」積極的平和主義をうたう安倍政権を倒すことであると、私は思っている。