中国軍事パレードについて思う。ー日本は、戦後70年を誇れー

第一に思ったことは、中国共産党指導部は馬鹿なことをするものだ、である。
あの軍事力の誇示で、世界が言うことを聞くと思っているのだろうか。東アジアで対峙する米軍事力に及びもつかない力しかないのを、誇示して何か意味があるんだろうか。米本土を射程におさめる核ミサイルを使ったら、その何倍もの核ミサイルが中国主要都市に降り注ぐことを知らないわけではあるまい。
軍事パレードを見て連想したのが、ヒットラーナチス軍閲兵式と白馬に乗った昭和天皇の閲兵式である。古いんだなあ。

第二に思ったのは、中国共産党指導部も軍事力誇示で世界が言うことを聞くと思っているほど馬鹿じゃあるまい。となれば、国内向けに俺たちはすごいんだぞという宣伝を意識してのことだろうと考えた。国内の様々な矛盾を、対外的な緊張を演出して抑える。この手だな。しかし、これも効き目は大したことないだろうな。日本国民が、日々の生活に夢中で、娯楽に夢中で、個人的な興味に夢中で、国家の動きなぞに関心がない人が多いのと同様、中国国民の多くも、国家の動きに関心がないだろう。
となれば中国指導部も、軍事力に知力・経済力を使うより、国民の生活向上に力を尽くした方がいい。やはり馬鹿なんだ。

第三に思ったこと。
中国共産党が日独伊ファシズムという悪をやっつけた自由主義側の一員との認識は、4分1しか正しくない。勝利したのは、中国国民党の中国であると言うことが一つ。も一つ、自由主義側であるなら、中国共産党指導下の中国に自由がないということ。これがその理由である。

第四に思ったこと。
戦前の日本の侵略は悪い。それを言われたら、あれは間違ったと言うほかない。悪いことをしたと謝るほかない。しかし中国の口撃に対抗する手段はある。戦後日本70年に及ぶ平和主義である。軍事力に拠らない平和主義である。これは米英中露仏独に対抗できる日本の誇りあり、人類普遍の正しい原理である。これを誇るべきである。安倍安保法制は、この誇りをなくすものである。米英中露仏独なんかのサルまねはする必要がない。中国が戦勝70年を誇るなら日本は戦後70年を誇っていい。70年前に終わったことより、現在まで
70年継続していることの方が重い。安倍安保法制は、これを手放す馬鹿な政策である。

第五に思ったこと。
どこの国民も国家に収斂されてはいけないと言うこと
国家対国家は、軋轢を生む。それはしばしば戦争を生み、戦争を起こさずとも、普段には国民の福利や権利を侵害する傾向が大きい。国家の意思は、その国家内の有力者(権力・財力を持つもの)の利益で決定する。それは一般大衆の利益と反する。国家の宣伝に騙されてはいけない。中国国民は中国政府に意識をからめとられてはいけない、日本国民は、日本国政府に意識をからめとられてはいけない。それぞれの国家は、有力者の利益で動くからである。一般国民同士の交流や連帯を目指すべきである。

第六に思ったこと。
大きな国同士の戦争なんて夢物語ということ。
中国軍事パレードの直前、世界の注目は、世界同時株安だった。それは中国の経済の減速から来るとのことだ。現在は、お互いの経済状況がひどく影響しあう。
戦争前に経済断交があるだろう。米中日その他いずれの国も、それに耐えられない。北朝鮮が耐えていると言う人もいるかもしれない。あのひどい生活に耐えることができ、人権無視に耐えることが出来、情報封鎖されるなら可能かもしれない。
北朝鮮でなけりゃー、戦争なんて出来っこない。どこの国民も北朝鮮国民になりたくないだろう。国家に収れんされてはいけない。