枯れ枝拾い

もう、60年近く前になる。

母に連れられて、近くの山へ行った。枯れ枝を拾いにだ。母と多分同年代の女たち、5、6人いただろう。母と一緒に日雇い労務者をやってた人たちと思う。当時は「失対」と言ってた。男は俺一人。と言ってもまだ10歳ちょい前か。母たちはワイワイおしゃべりしながら、集めていた。休みの日のレクレーションと実益を兼ねた山行き。

冬の山である。葉が落ちて明るい林である。時折轟々と枝の鳴る音がして怖かった。ずっと遠く下に海がかすかに見える。

枯れ枝は結構あった。最初一生懸命拾ってた俺は、すぐくたびれて止めてしまった。帰りにはくたびれきって、母に自分の拾ったものも背負ってもらった。母に悪いなと思ったことを覚えている。

あれはどこの山だったのだろうか。

今日荒れた里山を歩いていてずっと昔のことを思い出した。脳の働きとは不思議なものである。

昭和30年代前半、失業対策として日雇いを使った公共事業があった。砂利道の整備が主なものであった。たきぎ拾いも普通のことである。勿論御飯も風呂もたきぎや柴で炊いた。
(妻に言わせると、枯れ枝を拾うのは貧乏人とのこと、なるほど)囲炉裏があった。ガス、灯油は使ってなかった。電気の使用は、電燈とラジオばかりであった。

日本は、何と違ってしまったのだろう。