まるで別な国ー映画「秋刀魚の味」を見て

妻がビデオにとっていた映画「秋刀魚の味」(小津安二郎監督)を見た。同じ日本なのに、まるで別な国という感じを受けた。1962年制作なので、この辺の設定かな。とすると、高度成長前半時代。父親が娘を嫁にやる話で父親の情愛がしっとりと心に響く。しかし現代との違いを大いに感じた。

 

⓵結婚の出会いがお見合い中心という事。今お見合いで男女が結婚するという事があるんでしょうか。1981年結婚した私はお見合いでしたけど。わが団塊世代(70代半ば)は、お見合いが多かったんだろうか。現在の60代や50代でお見合い結婚という人はいるのかな。

 

②結婚すべきだ、という社会の圧力が強かったこと。私も母に早く嫁を貰えと結構うるさく言われました。今は親もそんなこと言わないのではないかな。映画のように、親も子も結婚という事に縛られ生きていくのは良くない。個人の好き勝手でしょうと言いたい。子供を持つかどうかだって個人の好き勝手がいい。現代の方が自由でいい。その結果、少子高齢化が進んでもやむなしである。異次元の少子化対策なんて言ってないで、少子高齢化に見合った社会を作るべきでしょうね。

 

③男親が娘に頼る一方、娘が親の面倒を見るのが当たり前という考えがあった。家制度の残滓があったのかな。現代から見て、個人が家に縛られていて、息苦しい。

 

④元軍人が元気に仕事をやり会社や社会を動かしていたこと。

高度成長は、戦争を経験した連中が指導的地位にあり、戦後生まれの若者が現場で働いたという構造だったのでしょうね。この若者たちは、他世代を圧倒する数があり、低賃金長時間労働に耐える性質を持ち、若い故新技術にも適応できたので、日本が経済発展できたと思う。

 

また、主人公の男(笠智衆)は、元駆逐艦長で、飲み屋で元の部下に聞かれて「戦争に負けてよかったじゃないか」と言い、また部下は、「嫌な奴らがえばってましたからね」という。

元軍人・戦争経験者が戦後の反戦・平和の気分を醸成してたと思う。自衛隊強化・日米安保体制という主流(自民党)の対極に、非武装中立を唱えた社会党が一定程度の支持を得た基盤でもあったのだろう。安全保障政策上、1½政党制というのは、案外いいものだったかもしれません。

 

⓹「今日はお風呂たてたか」と父親が聞 く。娘「いいえ」。この家の主人公は、会社の重役で、この家は、中流以上だろう。だのに風呂を焚いてない。そういえば1973年~3年間世話になった私の下宿は、隔日の自宅風呂であった。当時は、都会では、自 宅のおふろはぜいたくで銭湯利用が多かったのだろう。1960年代初頭は、総じて貧乏だった。ところで現代、都会では銭湯が主流なんだろうか、自宅のふろが主流なんだろうか。多分自宅風呂なんでしょうね。いや、シャワーだけかな。

 

⑥同監督の「東京物語」でも感じたが、言葉に念を押すと言うか、繰り返しが多い。どうしてだろう。丁寧という事か?主人公の「いやー」で終わっちゃう会話も特徴的だな。

 

⑦父親が娘を嫁にやって、寂しい(親の愛)というのもこの映画のテーマの一つと思うが、現代でも寂しいと思うんだろうか。自分も二人の娘を嫁に出したが、その時寂しいと思ったか?うーん、記憶にない。

 

⑧ところで、秋刀魚。この秋冬、なんと一回しか秋刀魚を食ってない。いや高くて食えなかった。売ってる数もごく少なかった。私の小学校・中学校時代の弁当のおかずは、秋刀魚が多かったのになあ。弁当のおかずに、肉や卵はめったになかった。勿論ハム・ソーセージ・ハンバーグなどはなかった。

 

買い物主任の私から見て、現代では、魚はおおよそ肉(鳥・豚)より高い。かつては逆だった。魚が安かった。・・・あ、第一、今は給食か。

 

やはりまるで別な国だ。