護憲勢力は「責任感が弱い」

1月11日朝日新聞1面を見てびっくりした。

改憲勢力「3分の2に」という記事のリード文に
「安倍首相は、NHKの報道番組で、夏の参院選について『自公だけではなく、改憲を考えている責任感の強い人たちと、3分の2を構成していきたいと』と述べた。」とあった。NHKのこの報道番組は見てなかったので、この記事を信用して、以下の文章を綴る。
首相は、憲法改正を考える人は、責任感が強くて、憲法改正を考えない人は、責任感が弱いと考えているわけである。
どうもなじめない感覚だ。何故憲法改正を考える人が考えない人より責任感が強いと言えるのか。

彼のいう「人」とは、国政選挙を頭に置いた発言なので、国会議員であろう。
自民党公明党大阪維新の議員は、責任感が強くて、民主・維新・共産・社民・生活の議員たちは責任感が弱いということになる。どうしてそう言えるのか、責任感が弱いと言われた議員たちは、国会で、何故自分たちが責任感が弱いと言われるのかを是非質問すべきである。

責任感ということについて考えてみよう。
責任とは、仕事上の責任とか、社長としての責任とか、夫としてとか母としてとか、である。その責任を自覚し遂行しようとする意思が責任感ということになる。やるべきことを遂行せよという道徳や法上の命令に従うと言うことである。

安倍氏は内閣の責任者である。しかし彼も好き勝手にはできない。憲法が行政にもこうせよと命令をしているからである。公務員の憲法擁護義務が、それである。だから、憲法に従って行動するのが、責任感ある首相ということになるはずである。

国会議員の4分の1以上の要求がある場合、内閣は国会を招集しなければならないと憲法が命令しているのに、言い訳しつつ招集しない安倍首相は、責任感がない人と言える。集団的自衛権は行使できないと言う、これまでの憲法の解釈を自分で勝手に変えて、行使できると言い張る人である。専門家が「それ、間違っているよ」というのにである。原発再稼働の可否は専門家に任せて、憲法解釈は、専門家のいうことを無視する、これって自分勝手な無責任ですよね。

憲法の命令を無視しながら、憲法を改正しようと訴える安倍氏に、こういう姿を想像する。

会社経営者が、経営に関する法を無視ししつつ、法を変えようと言いう姿。会社の就業規則を無視して、この就業規則を変えようとして言っている会社員。地域のごみ出しのルールを無視して、ゴミ出しルールを変えようと主張する人。サッカーの試合でルール無視して、こんなルール変えようと言っている姿。こんな人って、責任感があると言えないだろう。

責任感のない首相には、あれこれ言われたくないものです。そして早くに退場してほしいものです。


一般人で考えてみよう。
SEALDsの諸君は、「憲法守れ」と訴えるので護憲派が多いであろう。彼らは、自分たちでパンフレットを作って、ネットで訴えて、集会やデモを行う。その準備と集会やデモを整然と行う労力は、大変なものと思う。だから私は、彼らは日本の将来に危機感を持って行動している責任感のつよい人たちと思う。改憲派の一般人は、どんな行動をしているか知らないが、この一事でも護憲派が責任感が弱いと言うのは、おかしい。

何について憲法を変えようとはっきり言わないのも首相の無責任を示している。