痛々しい、大田昌秀元知事の「私の戦後民主主義」

岩波書店の『私の「戦後民主主義」』を読んだ。

著名人38人(ただし「戦後を歩んできた」という意味で1950年生まれ以上の年代)の体験を踏まえた「戦後民主主義」についての考え、をまとめたものである。以下に感想を書く

(1)私も同年代のせいか、まあ良くわかり、一気に読んだ。読後の第一の感想は、「群盲、象をなでる」である。姜尚中寺島実郎上野千鶴子等等、名だたる明晰な論者を群盲になぞらえては失礼だが、正直そう思った。
人によって重要と考える焦点が違うことが、その理由だろう。しかしそれ以上に、戦後70年をどう考えるかと言う、ある時代の評価についての文章なので、その本質を共通にとらえることは出来ないということだろう。結局は、戦後民主主義と言うことだ。誰のどのような見方がどんな問題に、より多く妥当するか、と言う問題である。全てに妥当する正解なぞあるはずがない。

これは一方で、安倍晋三一派のものの考え方が妥当するとは簡単に言えないので、安倍現政権の思い通りの政治は、極めて危険であると言える。少なくともよく言われる「熟議」が必要。そのためには、与野党拮抗が是非必要。「安定こそ希望」は間違い。簡単に「決められない政治の方が良い」と思った。

(2)戦後と民主主義、どちらかに主眼を置いて語っている人が多いと思われた。
そして「戦後」にも「民主主義」にも不可分の存在として「平和主義」について語っている人が多いと感じた。戦後の特徴と価値は平和主義と言うことが、ごく当然と言う意識である。

湯川れいこ:「ベトナム戦争にも湾岸戦争にも直接的に参加することなく、他国の人も自国の人も誰ひとりとなく殺すことなしに70年を歩んできた、世界に胸を張って誇ってこれた日本でした」

小林信彦:「戦争はいやだーこの思いこそ、私がつかみ取った唯一の実感です」

齊藤敦夫:「日常生活でも、仕事を通しても、被害者であり加害者であった深い認識からしか歩いていってはいけない。いかなることがあっても、平和な家庭を崩壊させる戦争を許してはならない」

無着成恭:民主主義は私にとっては「なぜ」と問える事であった。私の「なぜ」のなかでもっと感動したのが、文部省「あたらしい憲法の話」だった。戦争放棄の説明に「放棄とは棄ててしまうことです。しかし皆さんは決して心細く思うことはありません。日本は、正しいことを他のくにより先に行ったのです。世の中に正しいことくらい強いものはありません」と言いきっているところだ。

田原総一郎:ここへきて、日本では、国権の発動としての戦争を放棄した戦後日本のありかたを否定し、「正しい戦争」論争が起きそうな気配がある。だが私は、戦争を知る世代の限界かもしれないが、正しい戦争などはない、と断固として言い続けたい

鳥越俊太郎:私たちの世代の民主主義は、実は「平和と民主主義」と言うふうに「平和主義」と対をなすものであった。

柄谷行人:戦後の日本人には、戦争を忌避する精神が深く根付いた。それは「集団的無意識」のものだ。・・・戦後70年になった今、新しい理想が必要か、不要だ。必要なのは、憲法9条と理想を本当に実行することだ。

石川好:「戦後」民主主義とはなにか。それは憲法9条の不戦条項を守りきることである。

これらは、体験に根ざしているから強い反面、体験のない世代には響かないと言う弱みがあると思う。かつては戦争体験を持つ人が多かった、故に説得力があった。それがなくなったのが安保法制を成立させた原因だろう。

さて、戦争を回避するにはどうするかについての、各人の答えは書いていない。「安保条約は抑止力か、戦争をもたらすか」、「自衛隊を使って守るのか使わないのか、使うとすればどういう風に使うのか」と言うことまで考える必要があろう。
しかし、2015年安倍安保法制に賛成の人は、殆どいない。はっきり賛成の人は一人のみ。

石原信雄:最近の米中の力関係を考えると、日本の平和と安全を守るためには、今国会で成立した安保法制による同盟国との協力範囲の拡大は必要と思う

まあ、安倍政治や安倍安保法制に批判的な人に原稿を依頼したのだろうと思う。

(3)印象に残ったこと・ことば
○戦後、目黒川をドザエモンが流れて来ることが珍しくなく、それを追いかけていった(久米宏

○戦時中のニュース映画では、東条首相の斜め後ろには、商工大臣の岸信介が必ず映っていた。・・・A級戦犯だったはずの人間が
敗戦から10年そこそこで総理大臣になってしまう。日本の「戦後」の虚妄さが如実に表れている(小林信彦

○漫画「デモクラ・シーちゃん」(池辺晋一郎

○メディアで、「どの候補が優勢」と事前報道があったとき、あなたには三つの方法がある。その候補の名前を書く、白票を投ずる、
棄権する、これらはすべて同じ結果をもたらす。もしあなたがその候補者がいやだと思ったら、あなたにできる意思表示は一つしかない。投票に行って別の名前を書くことだ」(出口治明

○私は長い間投票に行かなかった。ある時棄権は、権力への同意であるという当然なことに気付いた。そののち無力感にさいなまされながら投票に行くようになった。・・・主権者であるということは、自分の運命を自分で決める権利があると言うことだ(上野千鶴子

○民主主義が本当の意味で育つためには、それに立ち向かう人間の「不動の覚悟」と「不断の努力」が必要条件で、なおかつ、長い時間がかかる。(米沢冨美子)

日本国憲法を押しつけだと言う人は未だにいるが、その方がずっといいと言う実感を多くの人が持った事実は、消せるものではない(赤松良子

○国民の60%がNO!と反応する法案を力任せに通した安倍政権は、もはや戦後民主主義が通用しない独裁政権と化したのである
(鳥越俊太郎

○夫の横暴を泣いて耐えるしかなかった母の姿は、「弱いものを守る」ことこそ民主主義の基本だと私に強く信じさせた、勿論それは「愛する者のために戦う」という戦争を美化することとまったく違う。それは戦争という大きな出来事を個人レベルにすり替えて正当化しているのだ。それは少しも「弱いものを守る」ことになっていない。(赤川次郎

○誰かが作ってくれたシステムを消費するのでなく、自分がが民主主義のアクターとなるー、本当に「不断の努力」が必要なのだと
思います(津島佑子

○この戦争もなかった70年は異常な時代かもしれません。ここから次も「戦争のない70年」を作らなければならない。それが、戦争のない70年を生きさせてもらったものの、最低限の責務だと思います(宮崎学

○敗戦後、多くの国民が悲惨な戦争を繰り返してはならないと決意し、またそのためにも言論、表現の自由の大切さを思い知ったのである。それに一部の人に重要な政治的決断をゆだねたらひどいことになると学んだ。だから戦後的価値は大きな犠牲を払って獲得したものだ(田中秀征

○日本の戦後民主主義は、夢と理念はあったが、それを実現させるための技術知の裏付けを欠いていた。今私達の目の前で起きているのは、その歴史的事実の一つの「帰結」なのだと思う(内田樹

団塊の世代は、戦後日本人の先頭世代としての責任をまだ果たしていない。仮性成熟の世代と言うべきで、きれいごとの世界を脱して
何をなしとげるかの覚悟が出来ていないのである(寺島実朗)

○「平和」という言葉を念仏のように唱えていれば平和が保てるわけではない。これまで平和憲法が国民の生命や財産を守ってくれたのは、「平和」という言葉があるからではなく、その言葉を支え信じようとする、国民の願いと意思の強さがあったからだ(高樹のぶ子

自治委員長を務めて大学管理反対闘争で退学処分となり、大学に戻ったのちは丸山真男教授の「戦後民主主義の虚妄にかける」という
精神を教わりました(江田五月

○今、世界中が戦争とテロでおびえる中、民主主義が二番煎じの欧米化や近代化であってはならない、それはまだ根付き始めたばかりだったのだ。言葉ではない。その果実によって真偽を見るべきである(中村哲

○戦後70年、日本は半占領状態の基地や強権的情報政治、社会の「軍事化」をアウトソーシング出来る「後背地」を失い、自らきな臭い軍事的な3Kに手を染めようとしているのだ(姜尚中

(4)私の心をもっとも揺さぶるのは、元沖縄県知事 大田昌秀の言葉である。
「そのかけらさえ味わうことのなかった70年」という言葉である。
何のかけらか?もちろん戦後民主主義のかけらである。
戦後民主主義」日本の、戦後沖縄への対応は、戦後民主主義にまったく値しない。これこそ「虚妄」だろう。
しかし、丸山真男は、「戦後民主主義の虚妄のにかける」といったのである。大日本帝国の理念=虚妄よりも、戦後民主主義の虚妄の方にかけるといったのである。虚妄を実質に出来るのは、大日本帝国では決してない戦後民主主義にしかできない