兄が普通の子だったら、僕はこの世にいなかったでしょう

くちびるに歌を」を再び見ました。2年前仙台で見たこの映画をwowowが放送し、それをビデオにとって見ました。

映画の感想を自分のブログに書いたのですが、(「合唱はいいなあ」)、あの時気になったことが、再び気になりましたので
書いておこうと思います。

桑原悟の手紙です。合唱顧問の先生から出されたのが「15年後の君へ」という題で手紙を書くことでした。

桑原悟は、手紙の中で言います。

「僕は兄に感謝しています。僕には自閉症の兄がいます。両親は、自分たちが死んだあと、この兄の面倒を見る弟か妹を期待して、僕を生んだのだと思います。兄が普通の子だったら、僕はこの世にいなかったでしょう。15年後も間違いなく僕は、兄のそばにいるでしょう。ほんのたまに、兄がいなかったらと思いますが、僕はきっと15年後も、兄のそばに寄り添っているでしょう。それが僕の生まれてきた意味ですから」

私は、当時これを見て感動しましたが、一方、疑問も持ちました。それを書きます。

悟はさとりすぎではないか、ということです。
彼は中三で、すぐ進学問題に突き当たります。この島に高校はあるんだろうか、分かりません。しかし大学はないでしょう。間違いなく。大学に行きたいと思った時、彼は兄のために諦めるのでしょうか。それはかわいそうでしょう。

現実には、親が兄の面倒を見るべきでしょう。そしてそうするのが普通でしょう。だから、悟にこんな気持ちにさせる親はダメな親だと思います。この親たちは、こんなことを思って悟を生んだんでしょうか。それがまったくなかったとは言えないとは思います。心の中はわかりませんけど、育て方では、ダメな育て方だと思います。15の子には、好きに生きていいよという気持ちを持たせるのが普通の親のはずです。

親は自分が死ぬまで、この子の面倒を全力で見ると言う姿勢を示す、それが、30(15年後)や40,50になった悟が兄の面倒をみる気にさせるのだろうと思います。愛された経験が愛することになる。その意味で、この映画は矛盾があるなあ、と思いました。

この映画は、人のために生きることで、人は生きる力を得るというテーマであるとはおもいます。それは正しいことと思います。そしてそれをある程度は表現している映画とは思います。いい映画とは思いました。

もしかして、15年後の悟やナズナ新垣結衣演じる先生の話があるかもしれません。

ヨモギさんに言われたので、新垣結衣さんも注意して見ていたのですが、あまり可愛いとは思いませんでした。顔は可愛い人ですが
、えばっている先生の姿がどうも可愛くないと思いました。