「頑張ってくださーい」相馬スタンディング/相馬野馬追いのことなど。

本日7月25日、いつもの場所で殆どいつものメンバーで、安保法制反対のアピールスタンディングをした。午後1時30分から2時までの時間である。かなり気温は高い。原町からの応援も含めて11名である。
メンバーの数名は、車で通りかかる人たちに、手を振る。私は、手は振らない。ただひたすら立つだけである。と、この辺で、ブログにいつもの様子の写真を載せるはずであるが、・・・撮れてなかった。どうしたことか。確かにシャッターは押したんだけどな。

しょうがないので、今やっている相馬野馬追い(そうまのまおい)の写真を載せる。おとといから始まり、最終日の今日は、南相馬市小高区の小高神社で、自由にした馬を追いあげ、勢子が捉えるという行事(野馬懸けという)をやっているはずである。

以下の写真は、おとといの相馬市と南相馬市鹿島区の写真。

総大将を迎えにきた騎馬武者の様子。総大将は、右手の屋敷に、前日から泊まる。ここは、元々は、家老屋敷である。

朝八時総大将出陣、相馬陽胤氏。勿論相馬の殿様のご子孫。相馬氏は、鎌倉時代初期源頼朝により、関東地方からこの地に移され(正確には、頼朝からもらった人の子孫が約200年後移住)、以来明治維新までこの地を支配した。同じ土地でずっと支配したというのは、薩摩の毛利氏とこの相馬氏だけと言われている。後ろに見える石垣は、江戸時代初めの中村城(別名馬陵城)の石垣

私の部落(おっとまずい表現)私の地区を練り歩いて、お城に向かう武者行列。この右側の土手は、私が20〜30日に一度ボランテイアで草を刈っている。この後、武者は城跡に参集し隊列を組み、相馬市内を練り歩く。そののち人馬とも、トラックにて南相馬市に移動する。

これは南相馬市鹿島区の武者行列。勿論隊列には厳しい順番がある。それを取り締まる役目もある。徒歩の兵も見える。この旗持ちは
アルバイトである。私も高校の時、旗持ちのバイトをやった。一日1100円であった。日やった。暑かったし馬が怖かった。

相馬中村神社の神官である。お酒の大好きな人で、飲み過ぎて馬上から転落したことがある。今日も大分おくたびれの様子である。

女の子も参加している。女性の場合は19歳まで参加可能である。私が高校の頃は、女性はまったくいなかった。始めた参加した時は参加させるかどうか大分もめたし、大騒ぎになった。今は普通のことである。年々増加している。今年は、120名中、6名くらいである。

神馬である。

相馬中村神社の神輿である。野馬追い祭りは、相馬藩の武術訓練から継承され、発展してきたもので、現在は相馬中村神社(相馬市)相馬大田神社南相馬市原町区)、相馬小高神社(南相馬市小高区)の3神社合同の神事という形をとっている。国の重要無形民俗文化財である。二日目は(昨日)メインの甲冑競馬と神旗争奪戦が原町区の雲雀ヶ原で行われた。今年の全出場騎馬数は440騎とのことである。私が高校生の頃は、1000騎を超えていた。東日本大震災の時、津波原発事故で開催が危ぶまれていたが、ごく小規模になったが何とか開催された。ここには、相馬の人々の意地と誇りが見えた。

さて、我らのスタンディングのことに話を戻す。
終わり近くになって、とっても嬉しいことがあった。信号待ちで停車した車から、窓を開けて、中学生か高校生ぐらいの男の子が2名大きな声で「がんばってくださーい」と声をかけてくれた。
メンバーの誰も知らない子どもたちだ。うーんと、元気が出たよ。

妻と帰りに話した。
「安保法が廃止されず、海外で自衛隊員が死んだり、戦争になって国民が死んだりしたら、俺たちのこと思い出してくれるだろう」
「俺たちが、少数でも、政権反対の意思表明をしていることが、そのまま法の表現の自由の擁護になっている」