雨のスタンディング/国会内のスタンディング

9月29日、南相馬市でスタンディングに参加した。小雨の降る中であった。天気のせいか、私も含めてわずか名の参加であった。どんどん減っている。(カメラを忘れて、写真はありません)

♪アカシアの雨にうたれて、このまま死んでしまいたい♪

西田佐知子の歌「アカシアの雨がやむ時」である。60年安保に敗れた学生たちに好まれた歌だと聞いたことがある。「私の死を恋人は嘆いてくれるでしょう」という甘美な自己陶酔の歌である。生き残った安保闘争の敗残学生は、その後どう人生を生きたか。それぞれにホントの死が待つ。自己省察を、この国の将来に生かしてもらいたいものだ。もはや、自己の利益追求の年齢ではないだろう。

安倍首相の所信表明に、自民党議員がスタンディングオベーションをしたそうだ。海上保安庁、警察、自衛隊に「今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」との呼び掛けに応じてのことだそうだ。自民党内で何らかの指図があったと朝日デジタルはいう。小沢一郎は、「北朝鮮や中国」みたいだと批判したそうだ。まさにその通り。自民党は、安倍手品師の下、窯変して中国共産党となり下がったか。

この安倍手品には、もっと怖い仕掛けがある。海上保安庁・警察と自衛隊を同列にしているところだ。両者は全く違う存である。海上保安庁も警察も日本領域内の犯罪対処装置である。しかし、自衛隊は、他国との戦争対処装置である。ここを変だな!と思わない人は、もう手品の幻影を現実と思わされている。

60年安保闘争には、日本が戦争に巻き込まれるという危機感があった。それから55年、日本は、安保法制下、積極的に戦争に参加できる国家となった。安保法制下の自衛隊員と海保・警察官の任務・命を同列に言うのは、それが意図的な言動なら悪質だ。

自衛隊員が海外で命を落とし、家族が嘆き悲しむことのないように切に切に望む

誰かに指図されたわけではない。我ら個々人、自分の自由意思で、街角にスタンディングする  安保法制廃棄!