天皇退位は、皇室典範改正で恒久の制度にすべきです。

昨日のネットニュースや今日の新聞で、2019年元旦から新元号使用というニュースが流れています。併せて、半年前から新年号も発表するということも流れています。とてもいいことです。年号はなくともいいともおもいます。面倒ですので。西暦だけでいいと思います。まあそれは置いといて、改めてこのようなニュースに接しますと、天皇生前退位こそが自然なのだなあと思います。昭和天皇から平成天皇への代替わりの時の、国民の不自然な自粛や代替わりのあわただしさが思い出されます。

それにつけても、今上天皇に限っての生前退位についての皇室典範の改正という考えは、納得できません。それは、現天皇の退位の意思を、天皇わがままとみていることになりませんか。また次の天皇「死ぬまで天皇をやれ」といっていることになりませんか。

天皇は、「高齢になって仕事が十分できなくなってしまった。次の世代に仕事を任せたい」とおっしゃっています。わがままなどでは、まったくありません。誠意のあふれる、ごくごく当たり前の気持ちの表明です。

恒久的な皇室典範の改正には難しい問題があり、長い時間がかかるというのが、臨時の皇室典範の改正を主張する人の意見のようです。これも理解できません。何か難しいことがあるのでしょうか。難しいことって何なのですか。

高齢となり、仕事が十分にできないと自覚した人が、次の人に仕事を任せる、これってまったく当たり前のことじゃありませんか。

皇室典範は、憲法改正と違い、国会の議決で決まります。自民党一党の賛成でも決定できます。特定秘密保護法や安保法制の時のように、強行採決すればいいのです。(笑)しかも野党第一党民進党は、恒久的改正に賛成なのですから、強行採決も不必要です。

憲法は、皇位世襲ということと、具体的なことは皇室典範という法律で決めろとしか縛ってません。世襲ですので、皇室典範に、天皇のDNAを受け継ぐ人の皇位継承の順番を決め、その承認の手続きを決めればいいだけです。天皇のわがままな意思や政治側の恣意的な利用を防ぐための制度を保障すればいいだけです。

高齢化に対しては、例えば、65歳を過ぎたら、天皇の退位の意思と皇室会議天皇家三権の長の会議だそうです)の承認があれば、退位を認めるという決まりがあれば十分です。64歳以前でも、病気等により退位したい場合も可能という制度を考えるべきです。

皇位継承の順番は、男女を問わず、年齢順でよいと思います。これを男系のみとすると、天皇家の一人一人に圧迫を与えることになります。例えば現在でいいますと、皇太子の弟の息子さんが、天皇位についたとき、男の子を生まねばという圧迫を与えます。男の子が生まれないと価値が下がるというような感じをもたらすのは、もっとよくないことです。女性を軽視することになります。女性天皇も当然認めるべきです。

女性天皇は、まったくなんの問題もありません
日本列島の人々が文字で自分を表現できないとき、中国の歴史書に現れた日本の最古の政治形態は、邪馬台国でした、その支配者は、卑弥呼という女性でした。白村江の戦いという中国・朝鮮と一大決戦をするときの天皇は、斉明という女性天皇でした。古代の律令制を完成したのは、天武天皇の奥様、持統天皇でした。江戸時代にも、女性天皇がいました。

現在の日本は、女性の活躍が先進国では極めて少ない国家といわれます。それを少しでも解消するため、女性天皇も認めるべきです。安倍政権の女性活躍という方針にも合致します。女性天皇は、当たり前のことです。皇室典範を改正して,年齢の高い方から即位と決めたらいいと思います。

それにしても、くどいですが、私には、現天皇に限って生前退位を認めるという考え方は、理解できません。それは、原則として、天皇に、死ぬまで天皇という仕事をやれと命令していることです。非人間的な扱いです。ブラック企業です。人間としての尊厳や人権を認めないことです。

仕事ができなくなったと自覚する人が辞めたいというのは、当たり前のことではないですか
。会社で社長が、「仕事ができなくなったので、やめさせてほしい」といった場合、「あなたは会社の象徴なので、死ぬまでやめるな」というのでしょうか。次の人が会社の象徴になればいいだけです。昔で言えば、一家の家長が「高齢で仕事ができなくなったのでやめたい」というのに対して、子や孫が「死ぬまでやれ」というのは、親不孝の極みです。

戦前の「天皇機関説事件」を思い出します。天皇は、憲法に制約されない、生きながらの神という考えが、通説の「天皇は、国会や内閣や裁判所と同じ性格を持つ一つの機関で、最高の機関」という天皇機関説を否定した事件です。これを利用して、軍部や右翼やそれにつながる人々が、自分たちの思いどうりに、日本全体を動かしていったのは周知の事実です。それは、太平洋戦争という悲劇をもたらしました。

私は、天皇は死ぬまで天皇をやれという考えに、天皇を生きながらの神と祭り上げ、利用したいという権力亡者のにおいを感じます。安倍政権が、臨時の皇室典範改正をしたいというならば、天皇を人間から人間以上のものに祭り上げ、天皇を利用して権力を行使しようというにおいを感じます。まあ、政府は、一代限りの退位という案と恒久的退位制度という案を国会に出すようですので、考えすぎかもしれません。

1月8日私は、大相撲を見ていました。天皇陛下がご覧になっていました。相撲が終わって、席を立つとき、観衆に手を振っていました。現天皇は、自分だけではなく次の皇位継承者も、高齢となり十分な仕事ができなくなった時、退位できるようになってほしいと思っていると拝察します。

退席するとき、そんな制度を作ってくれるように国民にお願いしているように思えました。安倍政権は、そうしたくないようですので、直接国民お願いしているように思いました。考えすぎでしょうけど。我々国民は、そんな制度を作れるよう努力すべきと思います。幸い、国民の多数は、恒久的退位制度に賛成のようです。

野党は、自信をもって恒久的退位制度の成立に努力してください。安倍首相の「天皇退位を政争の具にしてはいけない」という言葉は、天皇を使った言論封殺です。ごまかされてはいけません。象徴という天皇の地位は、国民の総意に基づきます。安倍首相の「政争の具にするな」とは、国民の総意より政権の思惑が上ということです。国民の総意を形成する国会より、政権の意思が上という、民主主義を否定するものにつながると、私は考えます。