ジャガイモ植え 「ある昭和史」 スタンディング

このところ、日本の電波は、トランプ大統領金正男氏がハイジャック状態であるが、私は、この騒ぎに背を向けて、ジャガイモ植えにまい進している。

今年は、まずは竹や木の根っこの侵入を撃退するのに精力を取られた。撃退の後、笹竹族や根っ子馬族の侵入を防ぐため、コンクリート万里の長城を築いた。

殆ど誰にも見られない所での作業なので、まあその仕事のいい加減なこと。初めは、水準器で水平と垂直を取っていたが、面倒になり目分量で長城を築いた。出来のまあひどいこと。

そして一昨日「マメトラ」で荒起こしをし、昨日クワで高畝を作り、今日ジャガイモを植えてきた。そしてマルチを張った。

ジャガイモ種は、きたあかりキロである。
キロは、自家で食べるには多すぎるが、親せきや友人・隣近所にくれるのである。北あかりのほかに貯蔵性の高い男爵・シンシア・十勝こがねを植える予定である。(各キロ)

色川大吉「ある昭和史」の中の「昭和史の天皇像」を読んだ。平成天皇の退位問題や赤坂真理「東京プリズン」によってもう一度読む気になった。

色川大吉は、昭和天皇の戦争責任について、厳しく対立する外国人学者の二つの考えと、同じく極端に違う代表的日本人二人の考えを紹介しつつ、昭和天皇の実像に迫っていく。二人の外国人学者とは、昭和天皇を平和愛好者・軍閥に利用された人物とみる英人モズレーであり、も一人は、昭和天皇狡猾な忌むべき戦争指導者とみる米人バーガミニである。二人の日本人とは、敗戦後、昭和天皇及び天皇制を厳しく断罪した弁護士正木ひろしであり、も一人は、敗戦直後「陛下よ、あなたは日本国民の恩人]です」と跪いた亀井勝一郎である。

色川の、昭和天皇の実像に迫る手法は、戦争へ向かう歴史を、第一次資料である「木戸孝一日記」「杉山メモ」(杉山元参謀総長の会議の筆記)「本庄繁日記」等を分析することである。

彼の言いたいのは、次のようなものであろう
1.政党内閣時代(1918年〜1932年)、5.15事件(1932年)から大政翼賛会成立(1940年まで)、1940年以降では、天皇の役割はひどく違う

2.天皇には、巨大な権限があったが、政党内閣時代にはそれを使う必要がなく、内閣の決定の追認をしてればよかった。1940年以降は、内閣と軍部の両方を抑えて日本の政策を決定する力は天皇以外になかった。


3.木戸・杉山・本庄などの記録を見ると天皇は、政策決定に積極的にかかわっていて天皇の意思が反映されている。(ゆえに天皇には、戦争責任がある)

色川のこの著書の最後は、
「(昭和)天皇は戦争責任を取り、国の内外の人々に率直に詫びるとともに、京都あたりに引退し、伝統文化の継承者として静かに暮らされるとよい。そして、私たち国民は、日本国の主権者として、非民主的天皇制を完全になくすために、必要な措置をとることを課題としたい」で締めくくられる。
1975年(昭和50年)ころには、こんな言説も当たり前にあったのである。

この本に紹介された「杉山メモ」を見ると、昭和天皇は、政府の最高指導者(権力の総覧者)と軍の最高指導者(統帥権大元帥)として、自分の意思で物事を決定していることがはっきり見て取れる。天皇は、つんぼ桟敷なんてのはであり、「天皇も騙された」なんてのも作られた嘘であることがよくわかる。

嘘には気を付けよう

今日のスタンディングは、6名参加でした。小雨が上がり、風もなく、真冬とは違うなあと感じました。

戦争したがる総理はいらない

この人、昨年の春ごろ女装してスタンディングしてた人です。

今日私がつくったプラカードです。「稲田朋美から自衛隊を守れ」と書くかと思ったのですが、稲田って誰だとなると困るので、防衛大臣としました。ちと漢字が多すぎてうるさ過ぎました。300人死傷しても戦闘ではないとか、戦闘というと憲法に抵触するから戦闘といわないとか強弁する防衛大臣の下では、自衛隊員は見殺しにされそうです。
そうか、「死んでも靖国に祀られるからいい」ということで稲田大臣は、靖国に参拝するんだな。