毎日4時間残業/勉強なんて嫌だ!/「もうおしまいだ」

びっくりしたニュースが流れた。
労働時間のニュースである。繁忙期の残業時間を1か月100時間未満にするとかというニュースである。週休2日で計算すれば、毎日約4時間30分の残業である。週休1日としても時間である。休みなしで働いても毎日時間を超える残業である。このままでは、これが法律的に認められることとなる。週休2日で考えると、休憩時間・休息時間を入れると朝時から夜10時までの労働である。
こんなひどいことを法律で認めてよいのか。働く者には、どんなことを法律で決めても、実態は別とか、実態はもっとひどいという感覚があるだろう。

しかし、これは全国の今と未来の労働者の人権の問題である。未来の労働者、つまり自分の子供が、毎日こんなに働かされても法律的にOKになるということである。人権蹂躙である。こんなことを認めてよいわけはない。労組の戦後の歴史は弱体化の歴史である。こんな人権無視は、その結果でもあろう。労組自身36協定という人権無視を認めてきた。しかし今こんな100時間の残業OKという人権無視を認めたら、労組や野党の存在価値はない。連合がこれを認めるという姿勢だそうだ。連合は、労働者の中では有利な労働条件の労働者の組合だだ。もっと下の労働者がいっぱいいるんだ。そこを連合は考えていない。どちら側に立っているのだ。連合なんぞつぶれてしまえ(怒)。全国の労働者は、自分と仲間と子供・孫のため繁忙期といえども、例えば50時間に抑えるとかの声を上げてほしい。労働者は声を上げにくいだろう。国民一人一人が、声を上げるべきだ。労働者(連合に集う労働者も)も、国民の一人に戻って声を上げてほしい。ことは、原則の問題なのである。人権の問題なのである。

会社の忙しいときはやむなしとか、会社がどうだこうだと考えるのは、二の次にすべきだ会社は、労働者の人権なんぞ二の次にしているだろうそんな会社の経営を忖度すべきでない。繁忙期には、派遣社員を多く雇えば済むのではないか。アルバイトを多く雇えばいいのじゃないか。普段からもっと多くの人を雇っていればいいのじゃないか。仕事をできるだけフラットにしておくとか、そんなことは、経営陣の考えることだ。

勿論会社を考え、仲間を考え、生活=首を考え、原則に外れる行動もあろう。ある一日残業時間ということもあろう。しかし会社が、原則繁忙期には一か月に100時間までオーバーして使えると決めることは、間違いだ。ことは、原則の決め方である。今と未来の人々の人権の問題なのだ。黙っているな。俺は、そう思う。
現状よりいいとか、どんなこと決めたってとか、外国の安い労働力との競争とか、異論もあろう。しかしことは原則の問題だ。忙しいとき、一日4時間残業Okなんて、人権無視の原則を法的に認めてはいけないと、俺は思う。

話変わって、
地元のスタンディングに行ってきました。

東風なのですが、冷たい風でした。やはり本格的な春はまだ遠いという感じです。今日は、原町からの応援3名を含めて名参加でした。今日もまた、小学生が通りかかりました。1年生です。約1年前スタンディング始めたころは、先生や保護者に引率されての登下校でした。現在は、引率はありません。


プラカードにも興味津々のようでした。

私のプラカードは、初心に帰って、「安保法制違憲無効」です。南スーダンから撤退することになったPKO ですが、新しく付与された駆けつけ警護行動で死亡した場合、どういう法的な位置づけになるのでしょうか。違憲なので、政府の不法行為による死亡ということになりませんかね。その場合弔慰金って出せるのでしょうか。法律の専門家は、なんといっているのでしょうか。まさか無駄死になんてことにはならないのでしょうね。無駄死にはまずいので、安保法合憲なんてことにするのでは、本末転倒です

1年の男の子と話しました。
私「大きくなったねえ」
彼「今度2年生」
私「いっぱい勉強できるぞ」
彼「勉強なんて嫌だ」
私「得意な勉強ってなに。体育かな」
彼「体育得意じゃない。生活、得意だ」
私「生活って何」(後で妻に聞いたら、社会と理科が一緒になったようなもののようです)
私「この中に読める字ある?」
彼「ない。あ、でもここにおんな、がある。これ、こうだ。これ、ちからだ」
私「この二つでも、こうって読むよ」(効)
彼「ふーん」
小さな子との会話は楽しい。

近くの池に白鳥が2羽だけいます。もう仲間たちは、北へ向けて帰路を急いでいます。このハクチョウたちはどうしたのでしょう。どちらかが飛べないのでしょうか。この2羽は、友人なのでしょうか、夫婦なのでしょうか。この池に最初に来た2羽でしょうか。いろいろ気になります。

カモやカモメも来ています。カモメは7キロくらい向こうの海にすむ鳥です。これまでカモメが来たことはなかったのですが、どうも陸地に進出している様子がうかがえます。
何か意味があるのでしょうか。

今日は、13日になります。6年前の今日、私は地震後初めて海岸部を見に行きました。自転車で行きました。ぷーんと泥の匂いがしてきます。海岸から2キロか3キロの地点から様相が激変します。田畑にも道路にも荒地にも、がれきが散乱しています。人の生活の破片です。田畑であったところには、車や船がつんのめって、あるいはひっくり返っていました。異様な光景です。大きな松が田畑にあります。これまた異様な光景です。

自転車で川の堤防を行くときの気分を、私は、はっきり覚えています。「もうおしまいだ」という気分です。南風が吹いてきます。私から40キロ南には、瀕死の原発があります。
炉心溶解という言葉が飛び交っていました。400㏜とか700㏜とかの数値が耳に目に飛び込んできます。水素爆発して放射性物質が私に向かって飛んできています。見渡す限り人はいません。私は、「渚にて」という小説や手塚治虫の漫画を思い出していました。その漫画は、巨大コンピューターに支配された世界で、巨大コンピューター同士のいがみ合から、人類世界が滅びるという話です。その最後の場面は、地下から放射能の充満した空気が沸き上がります。主人公がその空気を吸う場面で終わる漫画でした。そんな漫画を思い出していました。なんという漫画でしたか。巨大コンピューターは、確かマザーといってたような気がします。

全世界のこれからの人が、こんな絶望的な気持ちになることのないようしてほしいものです。私も微細な努力をするつもりです。