前原さん、考え直して!浮気の読書感想

本日の朝日に「前原民進代表、安倍政権下の9条改悪反対の4野党合意の見直しを指示」という記事があった。

その理由は新聞によると、「民進党は、政権与党の揚げ足取りばかりしている。安倍さんの下での憲法改悪の議論には応じないというのでは、話の筋が通らない。憲法について、ビジョンを示し、堂々と議論する」」というのがその理由のようだ。

前原氏は、元々改憲論者である。改憲に関する議論もしたいのだろう。

わたしも、憲法改正の議論を否定はしない。それはこういう場合である。「ある現実の問題があって、それを解決するのに現憲法が邪魔である」という場合である。これが本当なら憲法は改正しなければならない


今の場合、これと違う。

安倍政権下の憲法9条改正とは、違憲の疑いの強い安保法制を合憲にするということなのである。この改憲は、単に「9条に現にある自衛隊憲法に書きこむ」ということではない。


自衛隊はその性質を大きく変えてきた。1992年実施のPKO協力法以前は、海外での活動は全くできなかった。2015年成立の安保法制以前は、自国が攻撃された場合のみ武力行使ができた(武力攻撃事態法)。また自衛隊は、日本周辺で戦う米軍に後方支援しかできなかった(1999年周辺事態法
安保法制以後は、自国が攻撃されてなくとも戦う米軍を応援するため武力攻撃ができることになった(改正武力攻撃事態法)全世界で他国の軍隊を後方支援(弾薬提供も)できるようになった(重要影響事態法

安倍政権下の9条改正は、安保法制下の自衛隊憲法に書き込むということである。

勿論、集団的自衛権行使容認の明確化やそれの行使否認の明確化(護憲的改憲)や非武装の明確化の議論はあってよい。しかしそれは、憲法違反の疑いのある安保法制を廃止してからすべき議論である。

安保法制を合憲と考える政権与党が3分の2を占めている。その状況下での改憲は、安保法制を合憲化する目的である。野党第一党が、野党共闘の合意を否定するということは、「安保法制反対、集団的自衛権行使反対」という一部国民の意見を反映する手段がなくなるということだ

前原さん、考え直してください。民進党の議員の皆さま、集団的自衛権行使反対のため、前原氏を説得してください。

それにしても民進党はダメな政党だ。こんな前原氏を選ぶのがダメな証拠である。今日山尾議員の不倫疑惑報道があった。民進党には大きな打撃だ。もし山尾幹事長であったら、民進党は終わりであったろう。かろうじて最低限の危機管理能力はあったといえるのかもしれない。

朝日の同じ紙面に石破元防衛相の「核持ち込み議論促す」という記事があった。「核の傘を有効に機能させるためには、非核三原則の検討が必要」との理由である。

私がまず初めに感じたのは、石破氏の卑怯さである。「議論促す」というのはずるい言い方である。どうして「核の傘を確実にするためには日本国内に米国の核があるべき」とはっきりいわないんだ。そういえば議論が始まる。卑怯なんである。

私は、核の傘は、他国の核で攻撃を抑止しようということであるから、核抑止論と同じであると考える。核抑止論というのは、危険であるし、矛盾であると考えている。だから、日本国内に核持ち込みなんて反対である。


山尾議員の不倫疑惑じゃないけど、私は今、現在の妻「源氏物語」から一時離れて、ほかの小説に浮気している。

まず読んだのは、湊かなえ山女日記」である。NHKだったか、数回「山女日記」のドラマを見た。面白そうだという印象が残っていたので、読んでみた。連作短編小説であるが、登場人物がダブっているけれど、関連性は薄いと思った。それぞれが独立していると見た方がいい。短編それぞれは、まあ面白いのが多い。私が一番よかったのは、「金時山」である。日本一を目指した過去の自分にとらわれて肩ひじ張って生きていた女性が、同じ思いで苦しんできた男性との交際で、肩の力を抜いて生きていくことに気づいたという話である。

山の上で、地上すなわち日常の愛・憎しみ・悩み・迷い・惑いと対峙するというのは面白い設定である。まだまだいっぱい話が作れると思う。ドロドロした地上と清澄な山上、この交流は面白い。

次に小杉健治「」である。小杉健治は、「土俵を走る殺意」以来私の好きな作家のひとりとなっている。彼の魅力は、推理小説でありながら、現代の社会問題と割と本格的に取り組んでいるところである。彼の視線は、優しい。

この小説もそうである。

「自殺を望む者に対して、再び生きる意欲を取り戻すための最善の努力する。それでもダメな場合、その人が、この世に未練なく死ぬための援助をすべきじゃないか」という考えの提示である。難しい問題ではある。

まだまだ読書の浮気は続きそうだ。