ヤッホー新幹線

拙ブログを訪れて下さる皆さま、あけましておめでとうございます。
皆様にとりまして、今年一年が良い年でありますように。

年末年始、私の生活の中心(かき乱した)孫のことを書きます。
12月30日、静岡へ嫁いだ娘の一家がやってきました。孫は、2歳と3か月になります。
着いたらすぐに、餅つきをしました。臼と杵で搗きます。参加者7名。例年は、あんこ餅と汁餅(雑煮餅)ですが、今年は、黄な粉餅と納豆餅も作りました。しかし、孫は餅つきに関心を全く示しませんでした。

1月4日に婿殿が、1月7日に娘と孫が、静岡に帰りました。

私たち夫婦は、1週間強、孫の相手をしてくたびれました。2歳児の運動能力は、大したものです。

白鳥にエサをやる娘と孫です。

妻が用意した着物を着せたいということで、着せようとしますが、彼女は嫌がって手こずりました。これがなんと4日目の挑戦なんです。

この写真、じっとしていた、ごく短い瞬間を撮りました。

彼女は、9月の時よりさらに言葉を操ることがうまくなりました。言うことを聞かない傾向が強くなり、なかなか苦戦します。自分の力を示したいのでしょうか。全力で声を出します。抵抗もします。このような野生児を人間にするのには、大変な努力が必要です。母親・父親の苦労が想像できます。

彼女は、乗り物が好きで、「働く車」などのCDを視聴するのが大好きです。特に好きなのが新幹線です。「ヤッホー新幹線」の歌を、全身で歌います。

その彼女も、それこそ新幹線でかえってしまいました。ほっとすると同時に寂しくも思います。うれしかったのは、私がよく歌って寝かせた「五木の子守歌」の一部を覚えていたことです。今回も抱っこして一緒に歌いました。しかし、もう寝かせることは出来ません。

孫か帰った翌日、地元のスタンディングに参加しました。いつもの名でした。気温は低かったですが、風がなくまあまあのコンデションでした。

私が掲げたプラカードです。前に作ったものです。安倍首相は、今年になっても、憲法改正にご執心なようです。彼は、「憲法9条自衛隊を書き込むだけ」、と言い張ると思いますが、ごまかされませんよ。違憲の疑いの濃い安保法制を合憲にする憲法改正でしょう。「安保法制=集団的自衛権一部行使可能=米国の戦争に参戦可能」の公式は、誰も否定できないでしょう。(この是非・損得は別です。[場合によっては、米国の戦争に参戦すべき]と考える人もいるでしょう。私は、安保法制を非・大損と考えています)すなわち安倍改憲は、米国の戦争に応援し参戦することです。安倍首相は、「戦争をするためでない、戦争を抑止するためだ」というでしょうけど、軍事力による抑止は、米軍だけで充分です。

本日9日は、原町のスタンディングに参加してきました。珍しくわずか名でした(2名は相馬からの応援)。寒いせいかな。相馬も原町も、カメラを忘れて、スタンディングの写真はありません。

スタンディングでは、南相馬市長選挙が話題に上りました。現在の桜井市長が劣勢という話が出ました。少なくとも接戦なのは間違いないようです。私は、脱原発・護憲的ということで桜井さんに勝ってほしいと思っています。

本日は、韓国についての重要な情報が入ってきました。

2年ぶりの南北朝鮮会談です。北のオリンピック参加が話し合いのテーマでしょうが、それは北にとっては大きいことではありません。北にとってオリンピックは、外交の手詰まりの打開策です。北が積極的なのは、それだけ追い詰められているのだと想像します。世界中からの経済制裁が効いていると思います。他方では、核ミサイル開発の時間稼ぎでもあるでしょう。

核ミサイル開発阻止は、軍事力行使で阻止できるかもしれませんが、それは論外の方法です。韓国・日本・米国の甚大な被害が想像されます。さらに、核ミサイル開発阻止のため、核を使うという可能性があります。何のための核ミサイル開発阻止か、本末転倒、意味不明です。まずは、米韓の軍事力行使という選択肢はないものとして考えるべきです。

北からの軍事力行使も、可能性は低いと思います。やれば、瞬時にやられるとは、北の政権担当者もわかるでしょう。北からの軍事力行使は、指導者の疑心暗鬼からの恐怖心・やけのやんぱちの場合、可能性があります。それは圧力をかけすぎた場合と逃げ道がない場合でしょう。

結局は、暴発を防ぎつつ、対話による妥協で、北の危険性をできるだけ取り除くしか方法はないと思います。

日本政府の「最大限の圧力」一点張りという外交方針は、危険です。暴発の恐れがあります。
韓米が対話の姿勢を見せると、うろたえる現政府には、外交なんぞないのです。見苦しい限りです。今日も「対話のための対話」ではだめだ、なんて意味不明なことを言っています。一部有識者も「米韓が対話路線になった場合、日本が孤立して困る」なんて言ってます。日本政府が米国追随、一部有識者は、政府追随だからそういうことになると、私は思います。

もちっと大きく考えてみましょう。なぜ日本政府が米国追随しかできないか。それは、日本がずっと、日米安保体制で生きてきたからです。日本の安全を米国の武力に依存してきたからだと思います。安全保障には、様々な手があったはずです。それを、ここでは述べません。(参考例 拙ブログ 2013年7月5日 (5)軍事力に頼らない平和の方式について 等)

基本は、敵にならないことだと思います。

日本は、朝鮮戦争を直接戦っていません。できたばかりの海上保安隊が掃海業務(参戦にはなります)にあたりましたが、それは、GHQの命令でした。北朝鮮・中国と戦ったのは韓国・米国等でした。米国は、国連軍という立場を標榜しましたが、正式の国連軍ではありません。朝戦争が始まった1950年、日本は占領されていました。朝鮮戦争時、日本国家の意思はおおむねありません。国家意思で直接参戦していないことを利用して、国力の進展に応じて、中立の方向へ行くべきでした。少なくとも、冷戦終結時、安保条約は廃棄(政治経済社会文化協力条約に変更)すべきでした。

現状では、北朝鮮核兵器開発を阻止するのは、困難と考えます(私は、北の核廃絶は、迂回方式=平和条約締結・北の国際化→情報共有・経済発展→国際世論と北国民による核廃絶が正解と考えてます)。ですから、北が核を持った場合(実際持ってますが)や、統一朝鮮が核を持った場合も想定しておく必要があります。その時に備えて、最低でも「どこの国の核もダメ」という立場を、日本は今から持ってなければなりません

日本国民は、現時点では「核禁条約の立場に立つこと、安保法制を廃止して、政府による参戦の可能性を減らすこと、政府の圧力一辺倒政策を変えること」に努力するしかないと思います。

新年になっても、またまた同じ主張をしてしまいました。

今年もよろしくお願いします。