杢よい、・・・ころんちころんちころがってけー

2月9日(金)、隣町のスタンデイングに行ってきました。南相馬市では、駅前で、憲法9条にちなんで、スタンデイングをやっています。私は、応援ということで参加してます。共産党の人が多いようですが、単なる元教師とかキリスト者もいらっしゃって、雑多な集まりといえそうです。

13名参加していました。遠くに、通りがかりの人に署名を集めている人が見えるでしょうか。きょうは、一筆も集まらなかったそうです。

私の今日のプラカードです。ずっと前に作ったものです。安保法制は「集団的自衛権行使が可能なので、憲法違反」と、ほとんどの憲法学者と多くの国民が思っていました。安倍政権は、従来の自民党政府の解釈を変えて、「現憲法でも集団的自衛権は行使可能」として安保法制を強行採決したのでした。各地で違憲無効の裁判が続いています。私もその声をあげておきます。

その後原町市民図書館で、hateheiさんが強く推薦している「回復する力ー震災という逆境からのレジリエンス」という本を、一部読みました。というのは、南相馬市図書館は、市民以外は借りられないのです。相馬市図書館には、ありませんでした。

読んでみますと、hateheiさんのご推薦の通り、中身の実に濃いものでした。(hatehei666さんの2018年1月3日のブログをご覧ください)東日本大震災原発事故で負った心の傷の深さが、怖いほどわかります。そしてお医者さんの被災者(患者)に共感する力と病状を分析力のすごさに驚かされます。そして人間の心の回復力に深い感銘を受けます。

私が一番考えさせられたのは、東電社員が深刻な傷を心に受けて、心神喪失の状態になった話でした。彼は、一生懸命破壊された原発に向き合います。夜も昼も働きます。しかしどうにもなりません。彼は、社会に対し、地域に対し重い責任を感じてます。彼は、有形無形の非難を感じています。娘が東電社員の子ということで学校で苦しみます。彼は、社会人としても家庭人としても自分を責め続け、自殺を図ります。

この報告を見て私は、多くの東電社員が、実に誠実に事故に対応してくれている、と改めて思いました。関連会社社員も同じでしょう。東電と国には責任があると思いますが、その責任には、大きな軽重があると思います。私は、大小軽重はあるけれど、大人すべてに原発事故への何らかの責任があると思ってます。勿論圧倒的に重いのは、原発を国策として推進してきた自民党政府と東電経営陣にあります。

この東電社員が苦しんで自殺を図ることには、現在の国と東電経営陣の態度があります。国も東電経営陣も、原発事故への責任を認めていません。それは、この東電社員が、日本社会全体や地域からの責任追及の矢面に立つことになります。そう思いかねません。国や東電経営陣がその重い責任を認め、重い荷を背負ってくれれば、現場の人たちは、楽になると思うのです。

しかし、こんなことを国や東電経営陣は考えないのでしょうね。彼らは、被災者や現場の東電労働者への共感を持っていません。いや少しはあるでしょうけど、それよりも、自分や原子力村の利益を「合理的」に追求する人たちなのでしょう。地位の高い人や経営者にサイコパスが多いという考えは、当たっていると思います。これは、numapyさんに紹介された「サイコパス」(2018年1月30日のブログ)を読んで思ったことです。

共感といえば、今日亡くなった石牟礼道子さんは、水俣病患者への共感が異常なまでできる人でした。いや共感というより、水俣病患者が憑依できる媒体という存在じゃないかと、大学時代に「苦海浄土」を読んで思いました。そんなことはないのですが、そのぐらい強い共感力でした。

「ゆき女きき書き」「九頭竜権現さま」を読んで、涙がでたことを思い出します。「えっしんよーい、えっしんよーい」と、重症の水俣病患者のゆきが舟をこぐ声が今も耳に響きます。勿論石牟礼さんの想像ですけど。「杢よい、こっち、いざってけー、ころんちころんちころがってけー」。胎児性水俣病患者・杢太郎少年に、そのおじいさんが言う言葉です。おじいさんの語りです。勿論石牟礼さんの創作ですけど。あの爺さんの語りは、涙なくして読むことができません。70近くなって涙もろくなった私は、も一度読めば、きっと号泣でしょう。ドラマ新・事件「わが歌ははないちもんめ」で号泣したように。

浅田次郎の真骨頂も、語りにあります。寅さんの語りも、絶品と思います。語りとは、どうしてこう心を揺さぶるのでしょうね。そういえば私の好きな「平家物語」も「平曲」という語りでした。

平家物語」で感動するのは、やはり無常を語るからなんだろうと思います。無常とは、すべての人も世も移り変わり行くと思うことでしょう。日本人には、そうだなあ、と思う心がありました。あなたも私も同じ無常の存在と思う心がありました。それは共感する力のもとです。日本人は古来、縁とかゆかりとか因果応報とか無我という感覚を持ってました。人間はお互い何らかの関係をもって生きているということです。これも共感という人の心を作り出します。


ヘイトスピーチ、沖縄への過大な基地の押し付け、ブラック企業生活保護への攻撃、北朝鮮への圧力一辺倒、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」(安倍首相)等を見て私は、現代日本人のかなりの人が、共感という能力を失ったのではないかと思っています。