オリンピックも 少しは進歩してると思いますね?

平昌オリンピックの閉会式が今放映されています。

オリンピックの放映ばかりが多くて、もっと大事なことが軽視されているのではないか、と少し残念に思っています。また、オリンピックを利用した南北朝鮮や米国の外交も、スポーツには関係ないんじゃないかなと、少々苦々しく思ってました。勿論仲良くなる入り口となれば文句はないわけですけどね。それはなかなか期待薄でしょう。


それでも、オリンピックは、諸国・諸地域の融和には、良い効果があるなあと思いました。そして国家と選手の関係では、人類は少し進歩したんじゃないかなと思いました。

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今日の昼間、NHK映像の世紀プレミアム」 第七集「極限への挑戦者たち」の録画を見ました。(昨年12月放映)

その中に、「アスリートたちの挑戦」というパートがあって、そこには、スポーツを宣伝に使おうとする国家権力と、アスリートの対立が描かれていました。


1936年ベルリンオリンピックヒットラーが、ドイツ第三帝国国威発揚に利用したことで有名なオリンピックでの出来事です。

走り幅跳びは、米国ジェシー=オーエンスとドイツのルッツ=ロングの、激烈な対決となりました。オーエンスは、ヒトラーが、人種的に最も軽蔑する黒人です。

試合は、ヒトラーナチスドイツの期待に反し、黒人オーエンスが、ゲルマン人ロングを破ります。


勝敗が二人を分けた時、白い肌・ブロンズ髪・青い目(典型的ゲルマン人)のロングが、オーエンスを抱きしめます。ロングは、手記で言います。「自分は自分を抑えることができず、オーエンスを抱きしめた。この結果は、まぎれもなく、黒人がベストだということを示した

オーエンスも手記で言います。「ロングと一緒の表彰台に立てることを誇らしく思う」と。
実は、ロングは、予選で苦しむオーエンスに、貴重なアドバイスをしていたのです。素晴らしいフェアープレイ精神です。競技者にとっては、ライバルとは、ある意味友人なんです。同じ高みを目指すという意味で友人でしょう。

しかし、ドイツ第三帝国は、ヒトラー側近の、ロングへの手紙で「二度と黒人を抱き抱えるな」といいます。なんという狭量な精神でしょう。ロングは7年後戦死したそうです。オーエンスも、黒人差別社会の中で、馬と競争する見世物に出ている映像がありました。痛々しかったなあ。あの映像。白人金メダリストだったらこんな見世物に出たんだろうか?


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私は、この平昌オリンピックでも、選手同士の同じような場面を見ました。小平奈緒選手が、韓国選手の滑走を気遣い、韓国選手を抱きしめたことです。いい場面でした。

今日私は、日本女子カーリング選手(名前不詳)の、いい言葉を聞きました。彼女は、表彰のインタビューで言いました。「表彰台に(30年遅れているといわれた)アジアの二つ(日韓)が並び、もひとつが、私の好きなスウェーデンです。素晴らしい日です」


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前述のNHK映像の世紀プレミアム」では、福島県出身のマラソン選手円谷の栄光と悲劇が描かれていました。


1964年の東京オリンピックも、日本の国威発揚という面がありました。そのころ中学生の私は、女子バレーの優勝で歓喜し、柔道神永の敗退にがっかりしました。日本が負けたことが悔しくて、悔しくて、神永を非難するわけにはいかず、猪熊(いのくま)を出せばよかったと、選手選考の失敗を批判してました。私は、ナショナリズムの小さな信奉者だったんですね。それは、日本全体の雰囲気の影響でしょう。


円谷は、自殺します。円谷の自殺の大きな要因は、日本国・日本国民の期待の重さだと思います。それは、ゴール寸前、ヒートリー(英)とデットヒートを演ずる円谷に対するNHKNアナウンサーの応援「円谷頑張れ、・・・日本の名誉をかけて・・・」という言葉に象徴的に表れていると、私は思います。

現代では、国家の代表ながら、個人として「楽しむ」、「自分の高みを目指す」、「ライバルとフェアーに戦えることを喜ぶ」という選手が殆どです。

スポーツは、勝敗も名誉も責任も、競技者個人のものだということを、現代では、多くの国家も国民も認めています。

オリンピックでの個人の尊重という意味では、人類は、1936年や1964年に比べて、少しは進歩したのではないでしょうか。マスコミも「日本のメダル数」とか「日本最高」とかより、ライバル同士の友情などを教えてもらいたいなあ。競技者のプライベートなことは、控えてもらいたいなあ。

ただテレビ報道によりますと、競技者につらい朝早くの競技や夜遅くの競技が、放映権を持つ民間会社の都合によるのだそうです。これは、競技者にベストを尽くさせるということより、お金(儲け)優先という悪しき状況です。そういう意味では、国家が後ろに引いて、代わりに資本が支配しているということですかね。そうだとすると、「少しは進歩」というのは間違いかもねえ。