忙しい日でした

今日は忙しい日でした。
9時過ぎの自宅を出発し、10時から原町のスタンでデイングに参加しました。風は、やや冷たく感じました。

参加者は10名でした。この事態ですので、参加者が多いかと思ったのですが、少なかったです。
面白い人を見ました。

この人が持っているのが十手です。佐川さんは御用となるかもしれませんが、上司の政治家も、国民の持つ民主十手で御用と行きたいものです。
午後1時半からは相馬のスタンディングです。今日も人が少なく、私たち夫婦を含めて4名でした。

今日の私のプラカードは、ストレートに行きました。不祥事の基本原因が、指示でも関与でも忖度でも、行政の最高責任を取って総辞職すべきでしょう。
そのあとは、お墓参りに行きました。
自分の家のお墓と他2つのお墓参りをしました。かつては、自分の家のお墓には入りたくないなと思ってましたが、母が死んだあとは、ここでもいいかと思うようになりました。葬式には、少しは自分の意思を反映したいと思いますが、私の死後の祀りは、遺族の好きに任せようと思います。葬送は死んだ者のためでなく、残された者のためのものでしょうから。

そこから、こんなことを思いました。
小説「私を離さないで」の主人公たちには、お墓はないのじゃないか、ということです。勿論仲間の他の人たちにも。親なく子なく親戚もない人たちです。お墓とは、遺族のためにあるものですので、遺族のない彼らには墓がないでしょう。彼らは何も残しませんでした。

残したと言えば、近頃亡くなった内田康夫氏は、多くの推理小説を残しました。彼の作品の80%以上は読んだかな。中味はあんまり覚えてないんですが、多くの作品は、読んでいるときは面白かったなあ。これだけ残していれば、また楽しめるな。やはり初期の作品の方が、面白かったと思います。

おっと、今日の出来事を書いていたのでした。
墓参りをした後は、イシグロ「浮世の画家」を読みました。何を言いたいのかよくわかりませんでした。感銘を受けた場面もありませんでした。ある画家の戦前と戦後を描いているのですが、この画家の評価の変化というのが、いまいちわかりませんでした。「日の名残り」の執事は、くっきりしていましたが、この画家は不鮮明でした。また戦後の日本がほんとにこんなだったのか、とも思いました。この小説は日本のことを書いているのですが、どうもしっくりきませんでした。