安倍退陣要求 「忘れられた巨人」備忘

久しぶりのスタンディングでした。

横浜・草津旅行3日後(4月7日)から発熱しました。38度後半が続き、やがて腰痛とひどい下痢となりました。初め風邪、次にインフルエンザを疑い通院したのですが、インフルエンザではなく、結局何らかの細菌感染ということで、抗生物質投与・胃腸薬・下痢止めでようやく回復してきました。1週間は丸々寝ておりました。

ということで今日は地元のスタンディングに行ってきました。

いつもの4名でした。今日は、3名の人が車から手を振ってくれました。
私のプラカードは、前に作ったものでした。

もうこれは、安倍退陣しかありません。安倍が退陣しても、相変わらず自公政権でしょう。アベノミクス安倍外交は、間違っていると私は思いますが、彼が退陣しても、それは続くでしょう。一部の「政局に利用するな」という野党批判は当たりません。

公文書改ざん、これは、民主主義の基本の破壊です。国民の判断は、公文書に基づくはずですので。「戦闘」という表現のある自衛隊日報を隠蔽するというは、現場の事実を政治の都合で隠すということです。事実に基づかない政治をしている側が、事実を隠すというのは、もう民主主義の破壊です。こんな政権は退場してもらわなければなりません。キホンのキです。

安倍さんが退陣しても、憲法違反の法律が存在することは変わりません。米国の戦争に参加できることに変わりはありません。日本の安売りが続きます。私たちの戦いは続きます。

わずか30分のスタンディングでくたびれて帰ってきて、昼寝しました。まだまだ体力は回復してませんね。

寝てばかりの間に、断続的にカズオ・イシグロの小説「忘れられた巨人」を読みました。その備忘録をあげます。

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(1)民族対立と統一の問題ー小説の舞台は、古代イギリスの話だけれど、これは古今東西、共通する永遠のテーマであり、少々興味深く読むことができた。

ブリトン系のアーサー王は、他の民族を武力で制圧した。当然残るだろう征服された民族の復讐心を、ルールによる支配、征服された被支配者側の忘却という手段で抑えた。

しかし、ルールが何らかのきっかけで壊され、その平定の際の虐殺が、やがて虐殺された側の復讐心を呼び起こす。まるで旧ユーゴのセルビア人とクロアチア人の殺し合い、ルワンダフツ族ツチ族の復讐劇を見ているようだ。パレスチナで、シリアで今も見られる光景である。


悲惨な目に遭った側(サクソン人)の忘却は、支配者側(ブリトン人)の施した黒魔術による。それは、雌竜の吐く霧である。雌竜を殺して復讐心を呼び覚まそうというのが、サクソン人ウイスタン、この雌竜を守るのが、アーサー家につながる老騎士ガウェイン、かつてルールによる秩序確立せんと努力したブリトンアクセルこの3人の友情・対立がこの小説の中心テーマであろう。しかし、この対立が深みをもって語られるというわけではない。中江兆民「三酔人経綸問答」のような内容と深みはない。結末は、虐殺と復讐劇の連鎖を暗示して終わる。

ルールについては、「協定」といわれているが、詳しくは、述べられていない。その崩壊もどこから来たか、どんな経過かも述べられていない。私は、民族対立や憎しみの連鎖を防ぐ基本は、ルール=法の支配だと思っている。その意味でこの小説に不満が残るが、それはやむを得ないだろう。この小説は、重大な課題を担った男たちの浪漫的な冒険譚なのだから。

(2)真実の愛について
衝撃を受けたイシグロの前作「私を離さないで」でも追及された問題。前作では、真実の愛を持つ者たちは「提供」が猶予されるという特典があり、彼らにとって重大関心事である。二人の愛が真実かどうかを他者が判定することができるのか。それは誰が何によって判定するのか。その答えは、前作にはなかった。
本作では、老夫婦に真実の愛があれば、通常は一人で生きる「島」でも、二人で生きられる特典があるという設定である。その判定は、二人を「島」に渡す船頭がする。本作でも、真実の愛の判定基準は、明示されていない。彼らが「島」で二人で暮らせたか。それも語られていない。まあ、それはそれでよかろう。

ということで、まあ「冒険譚として面白い程度」の小説と、私は思った。