7回目の母の 命日

8月22日は、母の7回目の命日です。七回忌は、8月5日お寺で行いました。私たち夫婦と婿の三人の出席でした。娘は、福島県医大で出産の準備です。翌6日出産しました。


母は2012年4月肺炎で危篤状態で入院し、5月に退院しました。(させられた?)自宅療養なりました。入院で認知症がさらに進みました。週一で往診してくれる医者に「やがて食べなくなる。その時胃ろうをするか、自然死か決断することになる」といわれました。母には心臓疾患もあり、胃ろう手術の危険も考え、悩みましたが、胃ろうはせず自然死を選びました。当時の我が家は、退職した私と妻のほか、結婚準備の次女がおり、近くに長女も住んでいて、十分に看取りができたと思います。それでも心は揺れましたね。

2012年8月22日早朝、母は大きな呼吸を最後に亡くなりました。93歳でした。
2018年8月22日早朝、妻と二人でお墓参りをしました。何の日でもないので墓参者はほかになく、心静かにお参りが出来ました。



帰宅しますと娘が生後16日目の孫を抱いておりました。

亡くなる人もあり、生まれる人もあります。

方丈記の冒頭を思い出します。「ゆく川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたはかつえかつ結びて久しくととどまりたるなし。世の中にある人と住処とまたかくのごとし」


鴨長明の言うように、確かに、人も家も無常の存在です。永遠の命を持つものはありません。往々にして見慣れた古い家は、壊されて更地になっていたり、新しい家が出来たりしています。

しかし今日の私は、命のつながりを感じます。母→私→娘→孫という命のつながりを感じます。この思いはきっと、孫という一つの命の誕生の影響でしょう。

命ばかりではありません。私は母から畑作りの知識と技術を受け継ぎました。生き方・考え方も影響されていると思います。娘は私の影響を受けているでしょうか。多分何らかの影響があるのでしょう。

血縁関係だけでなく、すべての人間は、他の人間の何かを取り込んで生きていくのだと思います。そして誰かに何らかの影響を与えて死んでいくのだと思います。

そんな当たり前のことを、母の命日に思いました。