「自己責任論」を嘆く長歌

私は昔高遠菜穂子バッシングを見聞したとき、どす黒い真っ暗闇を感じました。50余年前中学で「自衛隊に先に死んでもらうべ」という先生の言葉を聞いたとき感じたことと同じ暗闇でした。バッシングの主な論拠は、自己責任論でした。それ以来、なぜ私は自己責任論を不快に感じるかを考えてきましたが、今もってわかりません。今回安田純平さんの解放帰国に際しても
自己責任論に基づくバッシングがありました。ひどく不快に感じました。今もって自己責任論の誤りやその本質を論理的に説明することは出来ません。ですが、現時点での不快さをつたない詩に託して自分の記憶にとどめておこうと思います。


自己責任論を嘆く長歌
哀しからずや   日の本の
自己責任論の   冷たさや
遠き危険地    命がけ
他国の民に    心よせ
苦しみ知らせ   援助する
安田純平     高遠を
自業自得と    何故切り捨てる
他国の民なぞ   どうでもいいか?
いつからそんなに 冷たい民に
なり下がったか  日本国民
私は何も     できないが
彼等を非難は   絶対しない


哀しからずや   日の本の
自己責任論の   愚かさよ
政府の指示に   従えば
万事良しと    お思いか
皇軍兵士の    戦わず
餓死者過半を   知らざるか   
認定遅れ     被害増
水俣病を     忘れたか
優性保護の    誤りを
核密約を     忘れしか
原発村に     住み込んで
指導を怠る    不作為を
それも良しと   言われるか


哀しからずや   日の本の
自己責任論の   思慮のなさ
政治家たちは   強調す
己ら自身で    食いつなげと
そりゃ当たり前  だけれども
病気・高齢    倒産失業
介護育児に    事故にケガ            
いつでもどこでも 誰にでも
自己責任で    片付かぬこと
起きることは   理の当然
それゆえ憲法   決めている
生存権保障は   国家の責務と
政治に乗せられ  自己責任を
言い募ること   無思慮の限り

哀しからずや   日の本の
自己責任の    狭量さ
違う行動     とる人を
我等に迷惑    かけるなと
責め言い募る   自己中さ
他国の民を    助けんと
正しい情報    得んとする
他人を助ける   行動は
国の評判     高くする
自己中論者の   言動は
国の評判     低くする

他人を責める   自己責任
自己責任は    自己のもの
他人を責める   自己責任
冷たく愚かで   自己中で
恥じ多き事    限りなし
哀れなること   限りなし