映画「アラバマ物語」感想・義父の癌

 一昨日3月24日は、私の70歳の誕生日。午後妻が約2か月ぶりにプールへ行き(1月下旬以来体調不良のため休んでた)、娘と孫は、友人との食事会で外出。

 

ということでその日は、家でのんびりできた。そこで、妻が録画していた「アラバマ物語」を観た。ブログ畏友SPYBOYさん推薦の映画である。

 

なるほど名画である。感想を書く。(ネタバレ)

(1)映画は、1932年(多分)の米国アラバマ州の裁判を描く。裁判は、黒人青年による白人女性へのレイプ事件。

被告の冤罪が明白に証明されているのに、陪審員は有罪を言い渡す。左腕が全く使えない黒人青年が、被害者側が言う状況で、レイプなどできるはずがない。それなのに、なのである。事実は、白人女性の黒人青年へのキスがあっただけ。なのにだよ、陪審員は有罪と判断する。少しショックであった。

 

なぜ事実を無視するか、それは、陪審員が全員白人だからだ。「優れた白人、劣等人種の黒人」という社会に固定した通念は、白人女性の黒人へのキスを認めない。白人女が黒人青年に好意を持つなんてあってはいけないという想い。それゆえ、女性の顔面等への暴力は、その父親が振るったという事実を認めない。優れた白人が子供を虐待するはずがない、と。

映画は陪審に長い時間がかかったことを描く。それは、陪審員間や個々人の心の中で、「事実と固定観念(黒人への偏見、白人の優位)」の対立があったことを想像させる。

陪審員には、良心の叫びがあったことだろう。しかしそれでも、事実が負け、固定観念が勝つ。被告は自殺する(正確には逃亡を企て射殺される)。なんと恐ろしや、差別意識

この映画は1962年につくられた。キング牧師等の人種差別撤廃運動(公民権運動)が盛り上がっている頃につくられた。この映画は1964年の公民権法成立に影響があったのではないかと想像した。

 

固定観念や偏見は抜きがたいものがある。現代のわれわれも、固定観念や偏見にとらわれてないか。いや、固定観念や偏見に安住したり、逃げ込んでいないか

 

一般の人の中で、今でもひそかに言われる「アカ」「共産党」、ネトウヨの「優れた日本、ダメな朝鮮・中国」。まだまだ生きている「男は、こうあらねば」「女は云々」。

 

安倍首相の「こんな人たち」「日教組」等の言葉は、この固定観念や偏見を助長する言葉である。彼にリーダー役を任すことは出来ない。

 そんなことを思った。また、自分の考えも固定観念や偏見にとらわれてないか、注意する必要がある、と思った。

(2)黒人青年の弁護士役のゲーリークーパーが狂犬病の犬を射殺する時、眼鏡をはずす。その瞳の美しさに感動。ただし、「ローマの休日」の時より太ったな、とも思った。

(3)映画の前半は、弁護士の子供たちの視点で描かれている。なぜ子供の視点か。この子たちは、この裁判を2階の黒人席で(白人席と黒人席の峻別されている!)黒人たちに交じり傍聴する。この子たちは、年頃で言えば、1950年代から60年代の公民権運動の担い手になるだろう。絶望的な社会でも、希望の担い手はやはり子供なのだ。Gクーパー演ずる父親は、誠実にわが子に接する。大人の誠実さは子供に伝わり、子供は長じて社会の希望を担う。翻ってわが現代日本、私たちは誠実に子供たちに接しているか?ひどく疑問に思う。

 

(4)この弁護士も、最後の場面で事実を無視する行為をとる。それは正しいか。

弁護士の子供たちが学校の帰り道襲われる。襲ったのは、レイプ被害を訴えた白人女性の父親である。(彼女も父親に強制されて訴えたのだろう。)黒人蔑視のひどい白人男である。この白人男は、黒人の味方をした弁護士を憎んでいる。そのため子供を襲ったのである。

 

この白人男から子供たちを救ったのが、隣人ブー(子供たちのあだ名)である。ブーは、子供たちに恐れられ、隣人たちや家族に白眼視されている孤立している白人男性(多分知恵遅れか)。しかし子供に優しい人である。ブーは、この男をもみ合いの中で刺して殺してしまう。これが事実である。

 

しかし保安官は、「事故で死んだことにしよう」と提案する。保安官は言う。「ブーに殺された男は悪人で、事実を明らかにすると同情がこの悪人に集まり、ブーが世間に責められる」と言う。

結局弁護士は、それに同意する。その彼の背中を押したのが、娘(語り手)の「マネシツグミは殺しちゃいけないんでしょ」という言葉である。「マネシツグミは、歌を歌うだけで何も悪いことはしてないから殺しちゃいけないよ」と言った弁護士自身の言葉である。娘は、ブーをマネシツグミと考えたのである。

 

事実は尊い。大切にすべきことである。事実をもとに物事は決められていくべきである。しかし、(保安官の言う通り)、事実を明らかにしたら、この偏見の充満する社会で、かえってブーにも弁護士一家にも不幸が来るのは間違いない。

 

勿論私も保安官や弁護士やこの娘の言う通りにするのが良いと思う。迷いなく一瞬にしてそう判断する。一方事実を隠蔽する現政権のやり方は悪であるとこれまた迷うことなく思う。

 

この違いは何か。うーん。事実を確定しても、事実を明らかにするのは、不幸を招くということもあるということか。現政権は事実を隠蔽しているので、事実確定以前の話しで問題外ということか。そんなことをぼんやり考えているうちに、現実が襲ってきた。

 

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一昨日の誕生日は、午後4時暗転した。ある面で尊敬する義父(93歳、特攻隊生き残り)が多臓器癌に冒されているということが判明したのである。義父は胆管炎で入院していた。しかし胆管炎でなく腸、肝臓、腹膜?に癌があるというのである。午後4時弟夫婦とともに、医師からその宣告を受けた。昨日余命は1~2か月と言われた。明日癌の専門病院へ行く。