ちと、がっかり志水辰夫、「ビリでしか見えないものがある」

久しぶりに志水辰夫を読みました。「滅びし者へ」という長編小説でした。

 

それなりにも面白かったのですが、かつて読んだ「飢えて狼」「背いて故郷」「行きずりの街」等々に比べて、ちとがっかりでした。

 

というのは、同じ冒険小説的趣向があるのですが、「滅びし者」は、歴史を貫く超能力者の血統がテーマでして、ちと現実離れしすぎてると思ったのでした。勿論あっと驚く仕掛けもあってそれなりに楽しめました。

 

同じ超能力者の話しなら、半村良山田正紀の方がうまいかと思いました。

 

こんどは、志水の短編集をよもう。「いまひとたびの」は良かった。

 

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さて、ブログ知人有為自然さんの今日のブログで、自分の切ない体験を思い出しました。

有為自然 820 ビリでしか見えぬものがある ビリでしか味わえぬものもある - 人生百年 有為自然

有為自然さんにまったく同感です。

私は10歳くらいまで虚弱体質でした。母が良く言いました。稲田屋の女主人に「この子(私の事)生き残ったのか」と言われたと。稲田屋は200m位離れた雑貨屋です。大きくなれないだろうと思われてたのでした。

 

いつのころでしたか。幼稚園か小学校か、徒競走の場面がまざまざと思い出されます。

幼稚園は、年長組から入園したのですが、すべての面で劣っており、2か月くらいでやめましたので、小学校低学年のことだと思います。)

 

皆にまったく追いついていけず、どんどん離されました。恥ずかしかったのでしょうか、その時私はわざと転んだのでした。先生が大丈夫と寄ってきたのを覚えています。

 

小学校中学年~高学年。男子は野球が憧れでした。長嶋茂雄が活躍した時代です。ソフトをやると私は、いつも9番ライトでした。何せボールがバットに当たらないし、ボールがグローブに入りません。誰がどこを守る、何番を打つなんて大いに揉めますが、私は埒外でした。勝負に本気な同級生たちは、私が自分のチームに入るのを嫌がりました。屈辱的でした。

 

しかし、馬鹿にされてはいましたが、いじめはありませんでした。一方私も、この屈辱をばねに努力して見返してやろうという気概もありませんでした。

 

ぼーと生きていたんだろうと思います。(チコちゃんに叱られる

 

 

小学校で太った子供が飛びぬけて遅く走っているのを見ると、今でも心が痛みます。

(私は、小さくがりがりに痩せてました)

 

私が今弱いもののしいたげられたもの味方をしたいと思うのは、多分小さいとき弱かったからだろうと思うのです。

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スタンデイングの時のプラカードです。

野党も沖縄も賃金生活者も弱いものです。消費税も弱いものへの課税になります。

 

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そうか、街頭で数名で立って訴えているのも、やはり弱いものたちかもね。うーん、

 

はてな、政権支持者や自民党公明党支持者は、強いもの?大阪で強い維新の支持者は強いもの?

 

騙されし者じゃないかと思ってます。