起きて泣く子のつらにくさ/

我が家には現在、11か月を迎えた孫がいます。かなりの速さではい回り、すべてのものに興味を持ち、すべてを舐め、口に入れます。数日前には、なんと死んだハエを口に入れておりました。油断も隙もありません。3度の食事は離乳食でして、この準備も食べさせるのも大変です。この子を母親と私たち老夫婦が見ているのですが(パパは40日の長期出張中でいません)、3人で見ていても大変です。

 

それで思い出しますのは、我が孫と同じ11か月の三つ子の次男を床にたたきつけて、傷害致死に問われた事件です。愛知県豊田市のこの母親は、夫・実家の支援も公的支援もあまり受けることができず、一人で三つ子を見ている時間が多かったようです。その大変さは想像に余りあります。

 

中国地方の子守歌では「ねんねこさっしゃりませ、寝た子の可愛さ、起きて泣く子のつらにくさ」と歌われます。私の場合は3人で一人を見てますので面憎さまでは感じません。しかし、一人で一人を見ている場合は、憎たらしいと感じることもありましょう。ましてや一人で3人を見ているのですから、普通でいられなくなるのも当然ありえることです。

 

この母親に同情する人も多く、減刑署名(執行猶予付き判決を求める)も集まったようです。一方では減刑署名を批判し、厳しく処罰されるべきという意見もあるようです。

 

私は、孤立して一人で同時に3人も育てていたら発作的に暴力を振るうこともありうることだと思います。また現在本人は深く反省し、実家に戻って残った二人を育てたいといっているそうです。それは「結果的に子を殺した」罪とともに生きる覚悟なのだと私は思います。つらい人生です。目の前に自分の罪を連想させる兄弟がいるわけですから、つらいと思います。(「この子たちの兄弟を殺してしまった」)そんな人生を覚悟しての子育て希望でしょうから、私は控訴審での執行猶予付きの判決を期待してます。

 

さて、この事件に触れて私は、日本社会は現在ある限界にきているのではないかと思います。これまでの「子育ては女の仕事」、「子育ては家族の責任」とか、「家族のことは家族で責任を持て」とか「あるいは親族で責任を持て」とかという考えではやっていけないということです。個人を社会全体で支え合うという考えがますます大切になってきたと思います。

 

勿論、(個々人に)「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」があり、それを国家が保障する(憲法25条)ことになってます。また育児休暇制度や児童手当などもあります。生活保護制度もあります。しかしこれは建前で、日本国民は本心では、「個人を社会全体で支え合うこと」を否定する考えの人が多いように思います。つまりは「個人を社会全体で支える」というのではなく、「自己責任」という考えの方が日本社会では強くなっていると思います。

 

かつて私は「他人の貧困に冷たい日本にがっかりしたという」ブログを書いたことがありますが、現在ますますその思いが募っています。

(参照、過去記事)

 

a0153.hatenablog.com

 

現在の日本社会の問題(例えば低い経済成長・公債の激増)の大きな原因は、少子高齢化でしょう。子供がどんどん生まれれば、高齢化の圧力は弱まり社会問題も軽減します。なぜ少子=少産なのでしょうか。様々な原因はあると思いますが、その一つは、「個人を社会全体で支える」という意識が弱いことでしょう。育児の大変さを女性たちはわかってます。そんな中で子を産み育てるのは大きなリスク故、ブレーキがかかります。

 

何故三つ子の母親は、次男坊を死なせたか。その原因の一つは、「個人を社会全体で支える」という意識が、日本社会全体として弱いことだと私は考えています。例えば3つ子の夫は、半年育児休暇を取ったそうですが、この夫は、小学校就学時まで、最低でも3歳ころまで育児休暇をとれるようになっているべきでした。現実には、経済的にも制度的にも精神的にも社会通念上も、この夫は本格的な育児休暇は取れなかったでしょう。

 

「個人をあるいは家族を社会全体で支える」という意識が弱いことは、日本全体の問題を解決困難にしています。

 

「個人を社会全体で支える」と対極にあるのが「自己責任論」です。自己責任論はあの自民党小泉政権の時の高遠バッシングからひどくなったと感じます。あの頃は福祉国家思想から新自由主義=自由競争肯定(競争の結果は自己責任)思想へと転換したときでした。もともと自民党は、自由(競争)主義を標榜する政党ですから、自己責任は、自民党にとっては自明の正しいことです。競争の結果は、各人で引き受けろ、ということです。

 

選挙向けには、そうは言いません。皆に目線を配っているようなふりをします。しかし本音は、自由競争至上主義、競争の結果は自己責任、結局、強者優先の現状肯定でしょう。安倍首相の言う「政治の安定」とは、強者優先の現状維持ということです。

 

 

その本音が表れているものがあります。彼等の願望を表した憲法改正草案です。

自民党憲法改正草案第24条には、「・・・・家族は助け合わなければならない」という文言を新しく入れました。

 

家族が助け合うのは当然で、国家から命令されるいわれはありません。道徳を、多数派から言われたくありません。言うべきでもありません。勿論見かけ上の多数派(政権)からも言われたくはありません。この物言い、上から目線で極めて不愉快です。

 

そして私は、この文言挿入には、「家族同士が助け合うのが筋で、国家や社会が家族を支える必要はない」という考えが潜んでいると思います。

 

そのような傾向が、自民党にはあると思っています。国民が自民党に政治を任せることは、日本の問題(例えば孤立する子育て)をさらに深刻化し、その結果少子高齢化を進め、日本全体に悪影響を与えると思ってます。

 

 

 

近頃の朝日新聞共同通信社参院選序盤の情勢分析では、自公勢力の過半数獲得は固いという判断です。このところ新聞の情勢分析は当たっています。私は自公政権に退場をしてほしいので、分析の通りですと残念です。しかし、自分の意思は表明しておきたいので(「僕らの民主主義だぜ」)、私は、自公勢力が減るよう投票します。