今日4月19日、南相馬市原町区のスタンデイングに行ってきました。
原町区では、毎月9の付く日に行われます。相馬では毎週月曜日に実施されます。
私を含めて5名の参加でした。風が冷たい日でした。一番右の男性のプラカードは、
NO WAR IN UKRAINA とあります。
彼との話の一部を紹介します。
私「なんか少ないですね」
彼「うん、病気の人が多くて」「若い人でも参加してくれるといいんだけど」
私「ウクライナ困りました」
彼「この戦争で、安倍とか維新とか憲法改正しろ、とか軍拡しろとか言っている」
私「中国と軍拡競争して勝てるわけがない。まだGDP4%も成長する国だから」
彼「んだでば(そうですね)、日本なんて原発やらっちゃら、おしまいだ」
私「しかも、エネルギー、食糧なんて自給率ねーべ。戦争出来っこね。」
彼「そんでも、やられるのに備えないと、無防備はダメ、なんていう人が多い」
私「日本は、ロシアと同じくらい軍事費使っている。」
彼「いや、維新や安倍は、核兵器で備えよと言いたいんだろう」
通りかかる車は、結構興味深そうに見ていきます。興味があるのは大いにいいんですが、彼が言う通り、「ロシア怖い、中国怖い、よーし軍事力を強化すべきだ」と国民がならないといいんですが。
私の新作プラカードはこれ。
日本初の軍事アナリストと言う小川和久氏は言います(拙ブログ3月23日)彼は「日米同盟強化こそ日本の安全保障に最適」という考えの人です。
「核共有というのは、小型の戦術核のことで、核抑止力(攻撃されない力)につながる戦略核は、米国が共有を認めない。核を持つためにはNPT(核拡散防止条約)から脱退しなければならない。安保条約も破棄しないと持てない。さらに核兵器を守るための通常兵器も大量に必要となる。」
日本国内で共有という形でも、核を保有するなんて議論が政治有力者から出るなんて、
想像もできませんでした。
かつては核兵器なんてもってのほかという共通認識が国民にも政治家にもありました。
それが、60年も過ぎますと、風化してしまいます。忘れちゃいけないことなのに。
このことは、拙ブログ「原爆を許すまじ―長崎にて」という紀行文で取り上げたことがあります。(2016年12月23日)
1954年(昭和29年)第五福竜丸事件(米国の水爆実験でマグロ漁船が被爆して死者も出た事件)が起こった時、東京都杉並区の主婦から始まった原水爆禁止運動は、瞬く間に広がり、反原水爆の署名活動は、約半年後には3259万の署名を集めました。(WIKI)
私はこのことについて、相馬市9条の会ニュース(第76号)の今年の1月号で取り上げました。
2022年現在でも、長崎では平和公園で毎日、原爆投下の11時2分「原爆を許すまじ」の歌を流しているそうです。(電話で確認)
私の昔の紀行文のコメントに、canngael さんが、「この歌の最後は「三度ゆるまじ原爆を世界の上に」とあります」、と指摘してくださったことを覚えています。
ロシアが、ウクライナに戦術核を使うかもなんて言われている現在、ほんと「原爆を許すまじ」と心から祈ります。