広島原爆忌と孫の誕生日・追記あり

現在、「蒼海(うみ)よ眠れ」(澤地久枝)の最終巻を読み終えて、まとめようとしているのですが、なかなかまとまりません。

 

そんな時、ブログ知人のたけ様から、NHK教育で澤地さん出演のミッドウエー海戦関係の再放送があるというので、妻にお願いして録画してもらいました。今朝それ見ますと、電波状況が悪くて、まともに見れません。しかも30分くらいしかないのです。どうしたことでしょうか。まあ、9日にもあるというのでまた予約してもらいました。

 

 

代わりに妻が録画していた2022年放送の「原爆が奪った未来~中学生8千人の生と死の記録」(NHK)という放送を見ました。

 

78年前の今日、広島に投下された原爆にさらされた中学一年生の死と生の記録でした。

8000人中結局6000人が亡くなったとのことです。

 

昔々、これも多分NHKで「夏服の少女」という放送を見て(泣けてきました)、女子中学生が勤労動員され、被爆したことは知ってましたが、8000人中6000人が亡くなったことは知りませんでした。

 

中1生が、空襲による延焼を食い止めるため「建物疎開」とよばれる建物取り壊しに動員されたのだそうです。中学2年生以上は工場に動員されていて、1年生が使われたわけです。教育現場側は、反対したそうですが、軍の○○中将の強硬姿勢で動員されました。

 

中学1年ですよ。12か13歳でしょう。この炎天下の建物壊しの肉体労働に従事していて被爆し死亡するなんて悲惨すぎます。

 

どうしてこうなったか。こうならなかった場合を考えてみますと、

⓵教育現場側が徹底的に反対してたら、本来夏休み中なので子供たちは各家庭におり、こんな集団虐殺にあわなかったはず。

→なぜ学校側あるいは行政側は強く反対できなかったのか。小学生のようになぜ疎開してなかったのか?

 

②昭和20年7月下旬ポツダム宣言が出されており、8月10日御前会議で、それをそのまま受諾したのだから、7月下旬に受諾してれば原爆投下はなかったはず。ソ連参戦の結果の惨禍もなかったはず(満州開拓団の悲惨やシベリア抑留の悲惨も)

 

→なぜ7月下旬受諾しなかったか。これは、考えるべき大事なことと思います。しかし、理由はどうあろうと、ここには、当時の天皇以下、政府・軍部指導部の重大責任があると思います。戦後少なくとも最高責任者の昭和天皇は、自主的退位をすべきであったと思います。

 

③米国は、日本がソ連を通じて終戦工作をしていたのを知っていた。さらに民間人を殺傷してはいけないという戦時国際法違反(ハーグ陸戦条約など)を知っていた。なのになぜ、原爆投下したか、これもよく考えるべきことです。

 

④1944年7月サイパン島陥落以降本土空襲が始まった時点、1945年6月沖縄陥落時点で日本の敗北は必至だったのに、なぜ戦争を続けたか。

 

⓹そもそもなぜ太平洋戦争を仕掛けたか?これまたとんでもないおおくのことを考えねばなりませんね。

大きな流れとしては、「1937年からの日中戦争で中国をギブアップさせることができず、中国の味方となった米英と戦争に突入」←「満蒙は日本の生命線」という考えで満州事変を起こし、中国と対立←大恐慌下の危機・国民の貧乏(地主小作制度・労働者抑圧)・中国の蔑視あるいは見誤り。こんなところかなあ。

 

それぞれ多くの考えるべきことがありますね。

 

例えば、生命線の満州も蒙古も、台湾だって朝鮮だって南樺太だって、戦前領土のすべてを失った戦後日本の方が、平和で豊かなのは間違いがありません。「満蒙は日本の生命線」とどうして考えたのでしょうか。

 

一方、外交上多くの時点で、太平洋戦争回避のチャンスがあったとも考えます。外交責任者の責任を問わねばなりません。

 

8月6日の広島の中学一年生8000人は、人類の全歴史のもたらした犠牲者と思います。

 

今日8月6日は、二人目の孫(内孫)の誕生日です。今朝パパママと一緒に仙台方面に遊びに行きました。近頃はまあ生意気になって、口答えは言うに及ばず、意地悪なこともします。こちらの言うことは、半分以上聞きません。聞くのは3割くらいかな。ママとは、本格的な喧嘩という感じです。彼女たちは、延々と喧嘩し続けるのでしょう。

 

もう一人の孫(外孫)のじいさんが「ほんとに可愛いのは2歳まで」と言ったのは、当っているかもしれません。

 

 

彼女はいつ、自分が広島原爆忌に生まれたということを知るのでしょうか。人類の長い戦争史を画する原水爆。最終兵器の誕生。それが初めて人類に投下された日。少なくとも彼女には、考え深い人になってほしいと思います。

 

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(8月7日追記)

午前、NHKスペシャル「原爆秘録~謎の商人・ウラン争奪戦」(録画)を見ました。

ベルギーの鉱山会社の腕利き商人が、コンゴの超高濃度ウラン鉱を米国に売り渡したという話です。この腕利き商人は、会社にも秘密にこのウラン鉱をニューヨークに持ち込んでいました。米国の原爆開発の責任者が、このウラン鉱がなかったら、原爆開発は遅れていたと言います。

もし原爆開発が遅れていたら、原爆を使う前に日本は降伏していたかもしれません。そしたら、6000人の中学一年生は、生き延びて戦後を生きたかもしれません。もし米国が、国際法遵守の国であれば、原爆は使わなかったかもしれません。

 

米国は、WW2後も世界の覇権を握るため、ウラン独占=原爆独占を狙いますが、失敗します。米ソ英仏中・印パ・イスラエル北朝鮮核兵器は拡散していきます。「相手の攻撃に厳しく反撃するため、即ち戦争防止のため核保有は正当」という核抑止論は、どこの国でもそう言えるのであり、核は拡散します。広島市長言う通り核抑止論は破たんしています。もともと破たんしています。現在は核禁止条約が発効しています。この方向で世界は進むべきでしょう。唯一の戦争被爆国日本は、その先頭に立つべきです。

 

という事で、相馬のスタンデングに行ってきました。参加者は、我ら夫婦、同級生の夫婦とそのほか2人の6人でした。かなりの高温でしたが、風があり助かりました。

同級生とは、中学校の思い出を語り合いました。どちらも先生に怒られたこと褒められたことが中心でした。

前に作ったプラカードを掲げました。

今日は、反応がありました。お母さんに言われたのでしょうか、男の子が窓を開けて手をふってくれました。さらに別な若い男性が、窓を開けて「頑張ってください」と大きな声援をくれました。

まあいいスタンデイングでした。来週はお盆の為お休みとのことです。