(承前)
第5巻第14章 まぼろしの蜜月
蜜月を辞書で引きますと「結婚して間もないころ、ハネムーン」とあります。
まぼろしを辞書で引きますと「実際はないけどあるように見えるもの、また、はかなくi消えるもの」とあります。
この章は、日米双方の、結婚期間が短かったミッドウエー戦死者のご夫婦の物語です。
その話の前に、澤地のすごさを紹介しておきます。
この章の終わりの方、ミッドウエー島で戦死した米国海兵隊員ザッカーマンの妻ハイラと会って、その涙に接して、澤地は言います。
「悲しみの日々へ無理に連れ戻したのが私の手紙であり、アンケートであり、今回の取材である。40年前に引き戻され、忘れようとしていた悲しみがまた新たになる。結果として私は、ひどく残酷なことを、日本でアメリカで、連絡のついたすべて、2千人近い人々に強いたことになる」(P209)強調はA0153。
手紙やアンケートや面会で、2千人と応対したんだ。すごい!澤地久枝。しかも遺族の悲しみに触れる応対だからなあ。偉い!澤地久枝。
さて短い結婚期間のミッドウエー戦死者には、1日から数日という兵士がいる。日米両方にいる。
アンケートの「結婚年月日」の欄に「昭和17年4月ごろ、一晩夫婦」とある、等農(とうの)正と妻ヒサ子である。
これは、弟の回答であるが、亡き父母から聞いた話という事で、詳しい結婚の様子は分からない。弟は、シベリヤ抑留で23年帰国という事である。
米国では、「ヨークタウン」で戦死したシアーズと妻マリーである。こちらも詳しいことは分からない。「ヨークタウン」の出航二三日前、マリーがカリフォルニアまで行き、シアーズと結婚したという。シアーズの妹の話しである。
この章は、結婚期間が1か月という日米双方の戦死者(日本側10名、米国側1名)の話が中心である。特に同じころ結婚した2組の夫婦の話である。
米国側は、あの栄光の第八雷撃隊中隊(第4章 インデイアンの血 参照)
のチャールズ・ブラノン予備少尉と妻ドロシーの物語である。
ブラノンは、米側戦死者中、最も資料が多い人である。存命中も戦死後も、その母が極めて積極的に息子の情報を集めており、またブラノンも筆まめで、父母とドロシーに詳細な手紙を送っているからである。
2人が初めて出会ったのは、1939年2月。二人ともアラバマ大学の学生であった。学生寮の会合で、ブラノンは出会ってすぐに、ドロシーをバレンタインのダンパに誘った。やがて二人は恋人同士となる(ただし、澤地は別のところで、同郷故ドロシーは、10歳のブラノンを知っていると書いている)以下年表風にまとめる。
1940年 二人は将来の結婚について考えるようになる。
6月 ドロシーは、NYの病院で インターン(栄養士)二人まだ学生。結婚話
は進まない
1941年 4月 ブラノンは、反ファッシズム運動に刺激され、海軍予備学生として入隊
厳しい訓練にたえる。好成績。
12月 ブラノン初めての休暇。ドロシーにあえる寸前、休暇取り消し命令。
日本の真珠湾攻撃で米のWW2参戦決定の為。訓練の明け暮れに戻る。
ごく短い休暇で、数度ドロシーと会う。
1942年 4月20日 (日本時間4月21日) ノーフォクで結婚式(親族誰も不参加)
4月23日 (日本時間4月24日) ブラノン、部隊へ復帰
・・・・・
なぜ突然日本時間も書くかというと、ほぼ同時期に結婚した日本側のご夫婦がいるからである。今度は、日本人夫婦のことを紹介する。
澤地に、長い手紙と詳しい話をしてくれたのは、三上美都子。美都子の夫は、空母「加賀」搭載の攻撃機の操縦士三上良孝大尉。ミッドウエー島への第二次攻撃隊として待機中に爆死した。三上は、ミッドウエーでは愛機には乗れなかった。
出会いから結婚までは、ごく短い。
1942年4月X日(不詳)良孝の母親が海軍関係の会合で、堀田美都子を見初めて、お見合
いへ。
良孝は、美都子を気にいったが、軍務を控えているので、堀田家へ断り
に行った。しかし、美都子の父親(元軍人)と話すうちに、結婚を申し
込む。見合いから正式婚約まで1週間。
4月22日 東京で結婚式
4月24日 三上良孝 部隊へ復帰
ミッドウエーで対峙する二人の青年は、一日違いで結婚式を挙げ、同日部隊へ 復帰したのである。
運命のその日、6月4日、三上は、「加賀」艦上で米国の攻撃を見ていたので、海面に墜落するブラノンを見てたかもしれない。間もなく、米爆撃機の爆弾により、三上は爆死する。
ふたりの青年には、6月4日以後の人生はないが、ドロシーと美都子にはその後の長い
人生がある。
ドロシーは、大戦中米軍で栄養士として働くが、ブラノンの死を認められず心を病む。その後徐々に回復し、1950年再婚してトロントに住む。
三上美都子は、義兄三上良臣と相思相愛で再婚して、東京で平穏な家庭生活を営む。
女性2人とも、戦後の長い平穏な人生を、一緒にたどった夫との人生を慈しむ一方、澤地に触発されて、戦死した夫との、短いけど鮮烈な愛を思い出すのである。
この章の多くの部分は、ブラノンと三上良孝の恋人・妻への愛の手紙や行動でしめられている。
ドロシーと三上美都子により、若くして死んだブラノンと三上良孝は、澤地のこの本の中に、生き生きと息づいている。
この章の最後は、ドロシーの澤地への手紙で終わっている。
「あなたは私を40年前に連れ戻して一日で去ってしまったけれど、私は回復するのに2週間かかったのよ」
私は前にも書きましたが、人名を覚えること、人間関係(親子・兄弟・甥姪など)の理解が苦手で、この章はなかなか理解することが大変でした。間違っているかもしれません。ご容赦願います。