澤地久枝の偉業「蒼海(うみ)よ眠れ」(2)

第二巻を読んでいる。

第二巻は、

第3章 インデイアンの血 

第4章 空母「蒼龍」の艦橋

第5章 生き残ること

第6章 「ハマン」からの声

からなる。第4章まで読んで、これは各章ごとにどんなことが書いてあるかをまとめていった方がいいな、と思った。あまりに人物・出来事が膨大すぎて、理解不能になるからである。第一巻の時のように、印象に残ったものについてだけ書くというのも良いと思うが、どれも大事なことのように思えて、方針を変える。

第4章 インデイアンの血 

米軍第八雷撃中隊は、ミッドウエー海戦で、ミッドウエー島と米空母ホーネットから

日本の空母4隻に、最初に攻撃を仕掛けた航空魚雷部隊である。

 

援護の戦闘機もなく単独で攻撃し、まったくの戦果なしで全滅した部隊である。(空母出撃は、15機29名死亡、1機2名搭乗、1名のみ奇跡的に生存)

 

この部隊も含めて、島と空母から継続的に日本空母を攻撃したこと(戦果なし)が、上空防衛の零戦を海面近くに引き寄せ、空母頭上をがら空きにし、米爆撃機の爆弾投下を可能にしたのである。

この爆弾が3空母に命中し、日本は、結局4空母を失い大惨敗となる。この中隊は、いうなれば犠牲となって、米国に勝利を与えた、大殊勲を立てた部隊である。ウォドロンは英雄となった。

 

この章の主人公は、この第八雷撃中隊隊長ウォルドロンである。澤地久枝は、苦労してただ一人生き残った兵士を手掛かりに、隊長の長女ナンシーに逢え、澤地は、彼女の話で、隊長の人となりとその家族の姿を描く。

 

ウォルドロン隊長は、インデアン系であり、ひどい貧困の中で育った。向学心に燃えた彼は、海軍兵学校へ入学。弁護士と婚約中のアデレードに一目ぼれし、激烈な求愛をし

彼女を射止める。アデレードは、富豪の娘であり、贅沢が身に着いた女性なので、彼は金銭で苦労する。そんな中、ウォドロン隊長は、創設期の雷撃隊の中心人物として若い兵の育成に当たる。

 

雷撃隊の育成兼隊長として彼は、ミッドウエー海戦に出撃する。妻への最後の手紙を紹介する。

「・・・君と子供たちの写真をいつも持っている、そしていつも君たちのことを思っている。もうすぐ出撃するはずだ。・・・重大任務の前夜である今夜、僕は元気でいることをぜひとも君に伝えておきたい。僕が無事に帰ってこられることを信じておいて。もし帰らないことがあっても、君や娘たちはきっと、わが中隊が海戦で素晴らしい戦果を挙げたことを知ることになるだろう。・・・この手紙を読んで君が怖がらないようと願っている。できれば一緒にいたい。しかし今はそうできない。いいかいアデレード、雷撃期の攻撃というのは、こっちにも必ず破滅があるものだ。・・・・きみは素晴らしい妻であり、母親だ。僕の代わりに娘たちにキスをしてやってほしい。・・・愛をこめて・・・」

 

夫の戦死を知ったアデレードは、未亡人生活を酒で過ごした。一度再婚の動きがあったが、相手の軍人が事故で死亡したため、生涯未亡人で過ごした。最後は肝臓がん死。ウォドロンの死は、母親を経由して次女に大きな影響を与えた。次女は精神を病み、数回自殺を試みた。

長女ナンシーの澤田への最後の言葉。

「私は臆病よ。死んだ英雄よりも生きている夫の方がいい。・・・戦争はひどいものね。もういや。」

 

当たり前だが、ミッドウエー海戦は勝者の家族にも甚大な影響を与えていると思った。

 

 第4章 空母「蒼龍の艦橋」

とここまで書いて、ふと疑問がわいた。著者にも出版社にも断らずに、こんなに長く原文を引用して怒られないかと。そこで、原文引用は出来るだけ少なくし、内容をまとめて自分の感想を書くことにする。

 

この章は、前半と後半に分かれる。原文は太字で示す。

前半は、ミッドウエー海戦惨敗の原因についての言及である。澤地は、空母部隊とその上部の連合艦隊司令部の双方の言い分に不信感を抱いている。空母部隊の戦闘詳報は、日本に帰ってから書かれたものであり、司令部の資料はないからである。

戦闘詳報を引用して澤地は、「これだけ読むと勝つのが不思議と思えてくる」と言っている。言い訳、自己弁護なんだろうな。 澤地は、戦闘詳報、空母部隊・連合艦隊両参謀長の戦後の記述などから、敗因を「敵戦力の下算(ママ)、戦勝による奢り、そして油断が連合艦隊司令部にあったようにに、空母部隊指令部のこの作戦への対応もまったく同質の弱点を持ち、それがすべて敗因へとつながった」と断じている。

 

しかし、「戦闘詳報が日本に帰ってから書かれたもの」にはびっくりした。責任逃れの捏造なんて、やり放題なんじゃないの。戦闘経緯を即時に記録しないでは記録じゃないだろう。もっとびっくりなのは、連合艦隊司令部の記録がない、ということである。

 

うーん、現代の安倍内閣の、政治・行政の記録隠しや捏造を思い出す。責任逃れやそれを許す、日本人の通弊か?いやいやそんなこと言っていられない。ちゃんと事実は残すべきだ。

 

この点に関して、澤地は、後半の主人公「蒼龍」艦長が猛火の中、部下の退去の注進を拒絶し、艦とともに沈んだことへの疑問をいう。大和艦長も武蔵艦長も確かこんな死に方だった。「艦と運命をともに」、なんてさすが武人と私は思っていたが、澤地の指摘を正しいと思う。

 

そうだなあ、厳しいけれど生きて、証言すべきだなあ。しかし、きついなあ。乗組員への責任もあるだろうし。死んだほうが楽だなあ、とは思う。

 

澤地は、さらに「戦闘詳報」にそって戦闘経過をたどると、敗戦の主因と言われる兵装転換(魚雷→爆弾→魚雷)は成り立たない、という。その他「戦闘詳報」の矛盾を指摘している。これに対して旧海軍関係者から誣告と批判された。

 

私に真相を解明する能力はないが、私は海軍側の言い分は怪しいな、責任逃れをしているのではないかと疑っている。

 

また、澤地の大変さと勇気をすごいと思う。

 

後半は、空母「蒼龍」艦長 柳本柳作の人物と蒼龍の被弾から沈没までの姿を描く。

材料は、評伝「柳本柳作」、艦橋詰めの士官、柳本の長女、3男、4男等へのインタビューである。

 

柳本は、自分に厳しい人間で、酒・たばこ・女をやらず、海軍の中でも指折りの堅物と言われた。陸上勤務の時は、早朝から深夜まで勤務し、日曜祭日も登庁した。部下への訓練は厳しいが、同時に部下思いでもあった。

 

柳本も、苦労した一生である。16歳で父を失った。父は、事業に失敗して自殺し、多額の借金を家族に残した。柳本は、一度失敗したが海軍兵学校に入学した。任官後柳本は、一生家に送金し続けた。借金返済と失った土地をとり戻すためである。

 

謹厳実直を絵に書いたような軍人であるが、残された妻への手紙は、えー、と思うほど恥ずかしいくらい愛情があふれている。

少しだけ引用すると

暇中の出来事は一つとして楽しき思いでにならざるはなく、・・・・我らの間柄は・・天光の力、宇宙の力、換言すれば恵まれたる・・・ああなんと有難い事だろう。・・・」

これに対する妻の手紙も愛情たっぷりである。

深き覚悟のもとにお別れいたせしかど、うれしい思い出を追想いたし候えば、そぞろおもと様の懐かしくしのばれて、いまいちどお会いいたさんなど・・・」

柳本の死後、特に戦後妻のアヤはずいぶん苦労した。新制中学の非常勤講師をする傍ら、自宅で洋和裁の内職、せっけんなどの日用品の訪問販売をした。また、アヤは、柳本の意思を継いだのか、柳本の従兵など蒼龍の遺族の訪問もしている。

 

私は思った。あの米国雷撃中隊隊長ウォドロンと蒼龍艦長柳本は似ている、いずれも苦労人である。真摯な努力家である。家族への愛も同じである、

 

ウォルドロンが狙った空母に、蒼龍もあったに違いない。この二人の妻への手紙は、いずれも愛情たっぷりである。そんな2人が戦場で相まみえて命のやり取りをする。そして両人とも死ぬ。その後その家族は同じように苦労する。

 

戦争とはそんなものと言ってしまえば、いえるだろう。しかし真摯に生き家族をこよなく愛した、見知らぬ人間同士が殺し合う。憎しみあう二人ではないのに。

 

おかしい。変である。

 

国家はこんなことを個人に命じてよいのか?国家意思を作る国民は、個人に戦えと命じてよいのか?

 

 

また、私の中学2年以来の疑問が生起する。

現在私は、武装同盟・専守防衛自衛隊と米軍で守る。守る範囲は日本領域のみ)に戻すというのが日本の安全保障のあるべき姿(勿論その先に武装中立非武装中立という究極の目標はあるけど)と考えているが、

 

専守防衛限定の武装同盟にしても、それが正しいのかどうか分からない「戦うんじゃない、軍事抑止力の為なんだ」、という考えも理解できるが、軍事抑止力って、危ないのではとも思う。

 

a0153.hatenablog.com

2巻のまだ途中だけど長くなったので、ここで打ち切る。今日は天気が回復したので、南相馬原町地区のスタンデイングに行く。