澤地久枝の偉業「蒼海(うみ)よ眠れ」(1)/いつもの安保政策での主張/雑感

*サンズイのそうが出てきません。蒼海と書いていきます。

先週図書館から澤地久枝の「蒼海(うみ)よ眠れ」(全6巻)を借りてきて読んでいる。

 

副題に「ミッドウエー海戦の生と死」とあるように、ミッドウエー海戦で戦死した

兵士が、どのような人生を生きて死んでいったかを描いたものである。

 

もともとこの本の存在は知っていた。近頃、ETV特集で、「ミッドウエー海戦

3418人の死を悼む」(第一部)を見て、読んでみようと思った。

 

私は中高生ころ、「中3コース」など月刊誌に載っている、日本が勝利した戦争話をワクワクして読んだ。

 

大学時代以降、家永三郎の「太平洋戦争」、「きけわだつみの声」、小説「人間の条件」、「野火」、新書「東京大空襲」「昭和史」「日本戦没農民の手紙」等々を読んで戦争はダメだ、と思うようになった。

 

それと同時に、相変わらず、IFの世界での日本の勝利を描いた小説も好きだった。このイフの話で、ミッドウェー海戦は良く取り上げられた。例えば高木彬光連合艦隊遂に勝つ」。実際の戦史上でも重要で、日本の勝利から敗北への一大転機となった戦闘である。

 

そんなこんなで、澤田のこの本を読んだ。

 

正直に言うと手こずっている。というのは、私の一番苦手な、多数の人間が出てくる話だからである。親族関係、人間関係を頭に入れるのが昔から苦手なのである。あれ、これ誰だっけ?どういう関係?となる。与謝野晶子訳の「源氏物語」が上巻で挫折したのも、登場人物の多さ、その関係性で、頭がパンクしたからである。

 

今日ようやく第一巻を読み終えた。

 

感想の第一は、「澤地さん、すごい!」でした。とんでもない努力と時間と費用とがかかったことと思う。第一巻だけでそう思った。「よく残してくれました」、と感謝の気持ちがわいた。

 

何しろ、ミッドウエー海戦の戦死者がどんな人間で、どんな生き方をして死んでいったかを調べて記述していくのである。生き残った家族から聞きだすことが中心で、そのインタビューにこぎつけるだけで大変だったに違いない。

 

第一巻は、第一章 友永大尉の「真実」、第二章「いのちが宝」の二つで構成されている。「友永大尉」とは、「海戦の勝敗を左右する報告電をうった指揮官として知られている」(p10)兵士である。この話も印象深いが、もっと取り上げたいものがある。

 

第二章の「いのちが宝」である。これは、沖縄出身のミッドウエー戦死者の話である。「戦死者が20人いること、しかもその遺族の手がかりはすべてないというのが最初の資料だった」(p87)

こんな状態から遺族を探し出して、話を聞き、戦死者の人物像を描き出しているのである。どえらい事である。

 

遺族の話を聞いているうちに澤地は、「一家の物語を聞いていると、ミッドウエー海戦の戦死者の存在は次第に影薄くなっていく」(P88)

 

何故なら、戦死した兵士の、沖縄の家族たちの運命があまりにも過酷で苦しくて、ミッドウエー海戦どころではないのである。

 

沖縄はもともと、本土よりもひどい貧困、それゆえの多産多死(私の感想)、出稼ぎ、日本軍による使役、艦砲射撃での死、米軍に追われ逃げ惑う困難、食うものがない、日本兵士にガマ(洞窟)から追い出される、捕虜生活・・・・。一番ひどいと思うのが、日本兵による住民虐殺。

 

その一例をあげておこう。これは出稼ぎ先のフィリッピンセブ島での話。話すのは、ミッドウエーで沈んだ空母「加賀」の戦死者上原徳正の妻ユキ。

うちの義姉の弟嫁は、11(歳)の男子を頭に女の子4人を連れて陸軍の方に残った。それを子供がいるとがやがやして敵に聞かれると言って、五人とも銃剣で殺してしまったんです。男の子は「兵隊さん、泣きもしないし、何でも言うことを聞きますから殺さないでください」と言って逃げさまよっているのに、捕まえて。4,5歳まで私が同じうちにいて育てた子です。そして妹たち4人も。敵に知られると言って、鉄砲で打たないんです。銃剣で・・・。セブの話は一週間話しても尽きないんです」(P167)

沖縄本島でも同じことがあった。これに関連して太田元知事の本を読んだことがある。

 

軍隊は、いざという場合、住民を守らないことがあるという例である。軍事合理性を考えれば当然のことである。もともと、沖縄戦は、日本の本土決戦のための時間稼ぎと言われる。沖縄は、捨て石にされた。

 

もひとつ例を挙げておきたい。太字は原文。

話すのは、「加賀」で戦死した津波古充和の妹アキ子である。

5月下旬、米軍に追われてアキ子は、夫の両親、弟妹、実家の母と弟妹の十人ほどで、南部へ逃げる。背中には1歳の子があり、身ごもっている年子の子は臨月だった。

雨季で、ひどく暑い中、南の島尻へ逃げていった。摩文仁の丘の方である。6月に入って、爆音の響く壕の中でアキ子は出産するが、母乳は全然出ず、飲む水もない。生まれて2,3時間後迫撃砲の爆風で赤子は死ぬ。

6月22日夜夫が合流する。夫は、壕を出るよう誘う。でたとたん機銃掃射を受ける。何人かケガする。そこへ日本兵がやってきて、「自決するからどけ」という。誰も動けない。兵士はその場で手榴弾を大地へたたきつける。兵士と弟が死に、カマト(母)も重傷を負う。その手榴弾の光を目指し艦砲射撃が来る。

正確な着弾は、姑の腹をえぐった。腸がはみ出た姑は苦しみ抜き「許ち給(たぶり)」と歌うように言い続けて、夜のうちに息を引き取る。カマトも腹部をやられ、身を縮めてアキ子の膝に頭を乗せていたが「くさん、くさん」(苦しい苦しい)と訴えた。どんな貧乏のどん底にいた時も、息子の戦死した時も、じっと苦しみを飲み込んで耐えた母親が、子供のように救いを求めていた、どうしてやることもできなかった。

 

6月23日アキ子たちは米兵に囲まれる。アキ子は米兵に土下座し、母親を助けてもらいたいと手を合わせた。戦車がやってきた。米兵は、多分モルヒネだろう注射をして、トラックで母親を運び去った。

母と娘を引き離したトラックは走り去る。どこへ連れていかれて死んだのかついにわからない。この日アキ子の夫も戦死していた。アキ子の背中に負ぶわれていた子は、米軍の捕虜になった後の収容所で自炊が始まってから、栄養失調で死んでいる。一言もものを言ったことがない一歳の女児は、死ぬ間際に「アンマー」母ちゃんと言って息絶えた。すべてが落ち着いてから、この子の遺体を掘り起こしに行った。骨と皮だった子は、髪の毛だけになっていた。

 

6月23日は、沖縄慰霊の日である。

 

・・・以下は、「蒼海よ眠れ」から離れて、いつもの安全保障に関しての私の主張と近頃考えていることですので、お前の話は知っているとか、つまらんとか、間違っていて聞きたくないと思う方、その方面に興味のない方は無視してください・・・

 

(続き)

私は思うのだ。今岸田政権が進めている軍拡路線は、再び沖縄を含む南西諸島を犠牲にしてしまうのではないかと。捨て石にしてしまうのではないかと。

 

現政権の行き方では、南西諸島に配備される敵地攻撃のミサイル基地は、台湾有事の場合、台湾の基地同様、中国軍の最初の標的になる。勿論本土の米軍基地も攻撃対象になりえる。しかし、米中とも全面戦争はしない。核でやりあったら終わりだからである。つまり台湾・南西諸島で収まる。本土の米軍基地や自衛隊基地への攻撃の可能性は低い。結局、沖縄本島を含む南西諸島の人だけが犠牲となる。そんな可能性が高いと想像する。

 

勿論、本土の米軍基地・自衛隊基地まで攻撃が行われる可能性だってある。その場合、どんなに防空措置をとっても撃ち洩らすミサイルはあるだろう。本土の民間人も死ぬ。

 

戦争は避けなければならない。

戦争を避けるためには、

(1)台湾有事を日本有事にしないこと

このためには、安保条約廃棄が確実だが、それは差し当たって難しいので、①台湾有事を日本有事にできる安保法制を廃棄しておくこと ②台湾有事を日本有事にしようとしている自公政権をつぶしておくこと ③自公政権の防衛費増・敵地攻撃能力保持政策を阻止すること。

 

(2)台湾有事を起こさないようすること

⓵中国にとっても、現状維持あるいは長期の平和的手段での統一の方が得なことを分からせる。(侵攻した場合、台湾の抵抗、米国の参戦あるいは武器支援、世界の批判、台湾の技術・優秀な人材の流出、かなり多くの国の経済制裁による被害、武力征服後の台湾人の反感、抵抗の中での維持コストなどを知らせる、日本の経済制裁の内容を知らせる=これは日本の方がひどい返り血を浴びるけど、やむなし。米国の経済制裁の内容を中国に知らせるよう米国を説得)

②台湾での独立傾向を抑えるよう間接的に支援(台湾人を説得)

③中国を刺激しない(北京政府が正統中国政府であることの確認、一国2制度の確認、中台問題は内政問題と確認すること、日本の軍拡はやめること)

 

(3)日中友好を進めること

〇日中平和友好条約の肉付け(安保条約と併存で良い)

尖閣を(ほかの領土問題も)国際司法裁判所判断にゆだねるという提案

〇日中の政治的(例えば首脳会談)軍事的、文化的、経済的、人的交流を深めること

〇西欧流民主主義を押し付けないこと。私は、中国共産党の独裁的強権政治は嫌いだが、それは中国国民の決定すること。米国の銃社会は嫌いだがそれは米国民の決めること。その国のことは原則その国に任せること。偉そうに民主主義が・・・なんて言わない事。第一日本って、民主主義なんて言えないんじゃないの(笑)

 

(4)米国と一緒に、あるいは豪・英その他と一緒に軍事力で中国を抑え込むという方策は、無駄で無理で危険と判断する。

米・英・豪とも本気で中国と戦う気はない。見よ。彼の最強の米国だって、ロシアの侵略にさらされているウクライナに対して武器供与にとどまっている。

れっきとした独立国のウクライナが侵略されても手を出さないんだから、主要国すべてが、中国共産党政権を中国の正統政府と認めている台湾に手出しはしないと判断する。オリンピックの、あの残念な「チャイニーズタイペイ」によく表れている。

そこを中国は見ていると思う。介入なしと。だからやるときはやると思う。中国指導部の判断は、損得だけだ。だから、武力統一は損だ、と知らせるしか方法はないのではないか。

日本は、財政上軍拡は無理、「やるときはやる」中国に、やるなというのは無駄、日本は、流れ矢に当たらぬよう、台湾から手を引いた方が良いと思う。台湾有事は日本有事にしちゃだめだ。専守防衛に戻すべきだ。

 

台湾の人には可哀そうだが、武力統一でなく、香港の中国化のような過程が長期にわたって進むのはやむなし思う。中国14億人が共産党施政下に生きている。俺は自由を認めない共産党政治は大嫌いだけど、中国では特に反乱を起きていない。それなりに幸せなのだと思う。台湾人が飲み込まれても、やむなしなのではないか。中国化がいやな奴は、米国に行けばいい。おっと、日本に来てもらいたい(笑)

 

 

※日本が安保条約を破棄したら、あるいは米国から破棄されたらという場合も想定しておかねばならない。核武装は、北朝鮮になっちまう。これ以上の軍拡あるいは中国との軍拡競争は、巨大な財政赤字や、GDPの大きさや成長率から無理。軍事抑止力以外の別な作戦を考えねば。

 

※インドや東南アジア諸国は、南シナ海への中国の進出に警戒・不安・不満を抱きつつも、米中両にらみの戦略という。これはあたりまえである。米中戦争の場合、どちら側にもつかない作戦だろう。そりゃそうだ。流れ弾には当たりたくないし、両側から大事にされ利益を得る可能性が高い。日本も安保条約をやめて、インド・東南アジアと同一歩調という手もあるかも。

 

ベトナムは、歴史上巨大な中国の勢力に悩まされ対応してきた。近代では、仏→日→仏→米→中という強国に対抗して独自性を保った。このベトナムの歴史を知ると日本の生き方が見えるかもしれない。中国の圧力にさらされ続けた朝鮮の歴史も参考になるかもしれない。第一、日本自身の歴史も中国対応の歴史と思える。これもよく知っておけば、今後に役立つだろう、と想像する。

 

いずれにしても、戦後の米国政府流のものの考え方と違う見かたが必要であると思う。

 

という事で、久しぶりに

このプラカードを持って、地元のスタンデイングに行ってきた。

わずか三人しかいない。私を含めて4人である。風前の灯か。
1年生が、帰ってきた。彼等のために、専守防衛に戻そう、その方が安全。もはや先進国でも大国でもない日本は、身の程を知って、軍拡競争に巻き込まれるな。米国にいいように使われるな。米国だってアメリカファーストだ。日本も日本ファーストで良い。

 

 

自衛隊は、今でも世界のトップテン以内の軍事力を持っている。米国の庇護がなくとも大丈夫と思う。それに、どこの敵にもならなきゃいいんだから。万一の侵略の場合、自衛隊も自国の為なら、誇りをもって戦えるだろう。米国の庇護がないとやられるというのは、米国と日本安保村(安保利益共同体、原発村からの連想、多分そんなのあるだろうという想像です)の洗脳の効果である。

 

 

安保条約がないと、日本は暴走して侵略を起こすという事も言われる。侵略だなんて無鉄砲なことを言う人は、米国の後ろ盾がないとしゅんとする。攻めは守りの、3倍の戦力が必要という。3倍の若い兵が必要と言えば、若い連中まずいと思うだろう。ほとんどの人は、3倍の戦力は無理と分かるだろう。もしそのような考えの政党があるなら(ないと思う)選挙でそのような政党は落とせばいい。

 

まだ、政権選択権は、国民にある。

 

それでも、暴走するというのでは、まあ、しょうがないな、あきらめた方がいい。小さい子、若い子には悪いけど、日本国民この程度だった、ごめん、だな。大日本帝国万歳!と言って滅ぶほかない(笑)。その場合米国の戦争に巻き込まれて滅ぶのより、幾らかましか(笑)

 

ここまで読んだ人がいたら感謝します。