専門家はまじめに説明してほしい

20日ぶりにとなり町のスタンデイングに参加してきました。小雨の中でした。私を含めて7名でした。相馬からは私だけでした。

私のプラカードは、いつもと同じものでした。近頃新しいものを作ってません。安保法制反対のころは、毎回というぐらい新しいものを作ってたのに、ダメですね。

昨日の毎日新聞に「防衛費の大幅増と増税」と題する、学習院大教授井上寿一の論説が載ってました。彼は、歴史学者のようです。

その論旨は次のようです。

①現内閣の「敵基地攻撃能力保有」に対する批判は、おおむね吉田茂の「軽武装・経済重視」路線からの逸脱という観点からであるが、「軽武装・経済重視」は、冷戦時代に適する政策であり、吉田も独立回復後は帝国陸海軍の復活を目指したに違いない

②「敵基地攻撃能力保有」は、専守防衛に反するとは限らない。弾道ミサイルなど高度な軍事技術の高度な発達と核拡散の現状で、「敵基地攻撃能力保有」は、専守防衛の有力な手段となりうる

③「敵基地攻撃能力保有」には、お金が必要。その承認のための増税は、「総選挙では負けることが多い。ただ勝った例がある。1930年(昭和5年)の浜口雄幸内閣による「緊縮財政・国民耐乏」を真正面から訴えた選挙である。その勝利の背景は、浜口の謹厳実直な生活、率先垂範、政治モラルの回復である。岸田はこの浜口から学ぶべきである。

 

私は、③には、大いに賛同する。「敵基地攻撃能力保有」のための総選挙は、すべきであり(国債の増発ではなく)、この選挙に勝つためには、浜口雄幸のような、私生活及び公的政策にモラル重視の施策をすべきと思う。

 

①は、どうかなと思う。「吉田は・・・違いない」は、単なる憶測で論外である。彼は、「軽武装・経済重視」が冷戦時代に合致した施策という論拠に、「米国が冷戦後半は、経済競争をソ連とやった」から合致するという。それは事実だと思う。しかし、彼は、米国にあわせるのが妥当という発想からしか考えていない。「軽武装・経済重視」は、米国の思惑・政略に関係なしに、「日本独自の作戦」として追及すべきものである。彼は現実迎合の思考の持ち主である。

 

②は、最悪である。第一に論拠を示していない。論拠なしにこんな大事なことを言うべきでない。専守防衛とは、相手を攻撃しない、攻撃された場合のみ戦うという意味である。この学者は、その意味を理解していない。もし専守防衛の概念を拡大して論じたいというなら、それを丁寧に説明しなければならない。

 

尚現在の政府の「敵基地攻撃も専守防衛である」という論拠=相手が攻撃に着手した段階で攻撃するというのは、着手の判断が難しく先制攻撃になる可能性が十分あるので、専守防衛の範囲から外れる。

 

さらに言っておきたい。軍事抑止力の考えから、日本が敵地攻撃能力を持つというのは、同じ抑止力理論で、相手も敵地攻撃能力を持つことを正当化する。双方とも着手段階で攻撃可能という事だから、それは解釈がさまざまであり、戦争勃発の可能性を大いに高める。敵基地攻撃能力を日本は持つべきでない。

 

尚付言すると、米国は敵地攻撃能力を勿論十分に持っており、その基地を国内に持っている日本は、上の理屈で、戦争を招く可能性が十分あると思う。私が安保条約廃棄を言う論拠の一つである。

 

 

てなことを考えながら、南相馬のスタンデイングに参加してきました。