国家の庇護なしに生きる(「天路の旅人」を読んで)

ブログ知人のcangael様ご紹介の(2023年2月3日)「天路の旅人」(沢木耕太郎を読みました。

読むのには苦戦しました。主人公西川一美の旅行があまりにも長大で、いまどこを歩いているのか、どこにいるのか、いちいち付属の地図を見ながらの読書でした。この地図に出ていない地名も多く、地理的感覚の鈍い私には、厄介でした。人が多いのも私にとっては苦手なお話です。「あれ、誰だっけ」、となります。

 

それでも見知らぬ土地・民族、宗教、生活習慣等々、ホントに興味深いものでした。

例えば、アルガリ(動物の糞の乾いたもの)・・砂漠地帯での燃料

例えば、ガンドン(人の大腿骨で作られた笛)、鳥葬

例えば、白骨の散らばる洞窟での座禅、パオ(テント)生活、野宿の多さ

 

アジアは広いと思いました。西川が歩いたのは、中華民国(現中華人民共和国寧夏省・甘粛省青海省、さらに中華民国が勢力を伸ばそうとしているチベット、ヒマラヤ越え(9回)、北西インド各地(仏跡巡り)、ネパール、ブータンビルマです。年代は、1943年昭和18年、数え26歳)~1950年(昭和25年、数え33歳)のことです。

 

以下に感想を書きます。この本から外れた私の感想・夢想もあるので、その辺は飛ばして読んでください。

 

①国家の庇護なしに生きた人のすごさに感動しました。

当たり前のことですが、私たちは、日本国内では、日本の憲法・法律・諸機関(自治体・自衛隊・警察・消防・病院など)に守られています。外国に行く時でも、パスポートに日本国外務大臣名で「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係諸官に要請する」とあるように、諸外国の法律・諸機関に守られています。

 

ところが、西川一美は、日中戦争(第二次大戦)の最中、敵国中国領内、敵国イギリス領インド・ビルマに潜入します。密偵として、国家の庇護を得られぬ探検をするわけです。勿論日本国に貢献するためです。日本の敗戦後にも勿論、国家の後ろ盾はありません。過酷な旅です。頼みとするのは自分だけです。

 

彼は、国家の庇護なしに足かけ8年他国で生きました。最初になにがしかのお金を、国家機関の出先みたいなものから貰いますが、あとはずーっと、自分の稼ぎで8年過ごします。動物の世話、担ぎ屋、水汲み労働、喜捨、等々、しかも言葉のわからない世界で、ですよ。

 

すごい、としか言いようがありません。

 

②彼は、内蒙古出身(蒙古人)のラマ僧の巡礼者に化けて旅行します。各地で蒙古人に出会います。彼は、蒙古人の「国家を持たない」悲哀を(モンゴル人民共和国を除く)強く感じます。なるほどと思いました。

 

 

・・・国家に対する私の感想・夢想(興味ない人は飛ばしてください)・・・

 

私は、蒙古人の描写で、クルド人を思いました。彼等は、トルコ、イラクなどで少数派として虐げられています。国家を持ってない悲劇です。人権を守るためには、国民国家がまずは必要です。また私は、ユダヤ人も連想しました。彼等は、第二次大戦後イスラエル共和国という国民国家を作って、安定しました。世界で活躍するための後ろ盾=祖国があるのは、幸いです。一方、イスラエル建国によって、その地に住むアラブ人が土地を失いました。彼等は、パレスチナ国民国家をつくるため、イスラエルとずっと、対立し殺し合いをしています。私は、彼等に国民国家をつくらせてあげたいです。

 

ある集団が(多くはそこで少数派)自分たちの国家をつくろうという事を国際的に認める方法はないものか、真剣に考えてしまいます。国際的ルールが欲しい。

 

国民国家の主権尊重と同時に、国民国家の主権を制限する国際的ルールも、欲しい。その制限には、2つの方向がある。一つは、国際法に国家主権を従わせる方向。もひとつは、国内の少数派の人権確保という方向。住民自治の拡大、国籍離脱権の拡大という事を手掛かりに、希望があればですが、少数派が独立できるというルールの確立ができないものか、そんなことを思ってしまいます。

 

そういう私は、今のウクライナ戦争を念頭に置いてます。ロシアからのウクライナの独立(ウクライナの領土・主権の尊重=ロシアの侵略の悪逆)も、東部・南部のロシア系住民(親露派)の、ウクライナからの独立(勿論希望があれば)も認められれば、戦争は起こりにくい。また、中国での、希望があれば、香港・台湾・チベットウイグル、その他少数民族(少数派)の独立が、あるルールに基づいて、平穏に行われればいいと夢想します。沖縄の日本国からの独立も認められるルール。独立を認められても元の国との平穏な外交ができるルールが欲しい。世界各地に独立国家承認を目指す地域・民族・少数派がいますが、独立国家(主権国家)と認められなくとも、高度な自治を認めるルールが欲しい。まあ、その地その地の事情があり、主権国家が国際ルールを作る最有力勢力故、拡大民族自決ルールの確立は、私の夢想です。

 

 

いやいや、大きくこの本の感想から外れてしまいました。いつもの夢想です。

 

・・・夢想の終わり・・・

 

③一方、西川が歩いた中国西北部チベット・ネパール・インド北部には、国家概念にとらわれない諸民族の交流があると思いました。

それは、遊牧民の文化なのかな、と思いました。

モンゴル人・チベット人・ネパール人などの通商・巡礼のテント生活では、「テントに顔を出す人は必ず迎え入れる」、というルールがあります。そしてかなりの頻度で、お茶の接待・食事の接待もあります。勿論見知らぬ人同士です。

 

・・・「見知らぬ人に対する態度」に関する感想・・・

現代日本のみならず、現代の多くの世界でこんなことはまずないでしょう。「人を見たら泥棒と思え」という世界とどうして違うのか、うーん。折口信夫の指 摘した「まれびと」に近いのかなあ。「まれびと」の場合折口信夫は、見知らぬ旅人を「神の使い」と考えたと言っていましたが、どうも違う感じがする。これは、激烈な自然、情報の手に入れにくい世界での必然的な合理的生き方じゃないのかな、と思いました。

・・・感想終わり・・・

 

④国家にとらわれない、漢人チベット人・モンゴル人・ネパール人・インド人の交流には、宗教的共感があるのかなと思いました。と言っても宗派にとらわれてません。西川は、マニ教僧として修業しながら巡礼するのですが、違う宗教との争いなんてありません。西川は、元々は密偵なんですが、修行の結果、高僧のような雰囲気を身につけます。だから次のようなことがおこります。

 

インド北部のある村でのこと。西川は托鉢して御詠歌を歌ったりすると、「俺の家にも来てくれ」と次々招待を受け、大きな木の下で寝ようとすると、皆集まってきて、ご詠歌を歌ってくれという。

 

<本文引用>

「次々に要望があるので、チベット・モンゴル・中国・朝鮮、はては日本の歌まで歌った。さすがに疲れて、それでは皆さんにインドの歌を歌ってほしいというと、大人も子供たちと一緒に歌ってくれた。そこでアジア圏の大歌合戦の様相を呈してきたが、日が暮れそうになって、ようやく一人にしてくれた」

<本文引用終わり>

 

cangael様も触れてましたが、最後に西川は、国家の後ろ盾がなくとも、一人の人間として存在していけるというという確信を持ちます。

<本文引用>

「未知の世界に赴き、その最も低いところで暮らしている人々の仲間に入り、働き、生活の資を得る。それができる限りはどこへ行っても生きていけるはずだ。そして自分にはそれができる」

<本文引用終わり>

 

 

路上生活者・ドヤ住まい・浮浪者には、国家の庇護が殆どありません。一方、国家にたかっている政治権力者・巨大会社があります。どちらがえらいか、私は前者がえらいと感じます。 

 

 

⑥勿論、この西川の旅に関する本は、第一級の冒険譚です。茫漠たる砂漠行、峩々たるヒマラヤ山脈越え、寒さとの戦い、雪との戦い、飢餓との戦い、盗賊との対峙、ヤクなど動物との交流、スパイとして苦労、厳しい仏教修行等々、冒険・探検譚として超一級でしょう。お薦めです。

 

 

⑦筆者沢木耕太郎は、生前の西川に逢ってます。約1年間、月1回盛岡で会って、話を聞いてます。沢木は、西川自身の著作「秘境西域八年の潜行」とこのインタビューをもとに、「天路の旅人」を書いています。そのあとがきで、沢木は、コロナ禍が終ったら、中国内蒙古からインドへ行ってみたいと言っています。(2022年9月)その話も聞いてみたいと思います。ルポとして読んでみたいと思います。

 

⑧この本に続けて、沢木耕太郎「旅する力」を読みました。「旅する力」には、沢木の、旅についての経験・思想が良く表れていると思いました。そこで私は、この「天路の旅人」にも、西川の旅について、筆者沢木の旅の思想が入っているかも、と思いました。