江戸時代の開発独裁-小説「鬼はもとより」(青山文平)

近頃少々気に入った青山文平を読んだ。その感想。以下少々ネタバレ。

底惚れ(青山文平)

初めて聞く言葉だが、底惚れとは、「心底惚れる」からきた言葉か?この小説は、心底惚れた男の話。何せ、好いた女に刺されても、その女の殺人未遂をかばい、その女のために生きるんだからなあ。底抜けのお人よしなんて言うけれど、底惚れは、「底抜けの惚れ」なのかもしれない。

鬼はもとより(青山文平)

江戸中期、藩札発行で失敗し浪人となった男が、その経験を活かし、超貧乏藩の窮乏を助ける話。その藩は見事に立ち直る。この超貧乏藩執政の、改革政治の姿勢がすさまじい。鬼となる。前執政の公開の切腹から始まり、反対派弾圧、厳しい独裁政治で藩を導く。何せ前執政というのが父親なんだからなあ。この執政の方が主人公より印象深い。

 

瀕死の藩を立て直すためには独裁がやむなしと思った。

 

ただ普通の独裁と違うのは、独裁者たちが自分の欲で動いてないということだ。

この改革に携わる執政(物語の最後で切腹)・前執政(公開切腹)・その後継ぎ、いづれも命掛けである。彼等は、自己の為でなく、藩=公=皆(百姓も含め)の為、鬼となり他の命を要求し、自分の命も差し出す。まさに命掛けだ。

 

わが日本の現代の政治家、自分の為(政権維持・政権に連なり自分の欲の実現)にのみ行動しているように見える。

 

情けないなあ。そんな風に思った。命をかけよとは言わない。しかし、与野党とも中央の政治家も自治体の政治家も、皆の為に、まじめに考え、行動してほしいものだ。

 

さてこの小説で「開発独裁」という事を連想した。

 

第二次世界大戦後、開発独裁という事が言われた。後進国が経済発展するために独裁政治を断行する。昔の韓国やフィリッピンやマレーシア・シンガポール等アジアの国々を言ったものだ。今日TVでチラ見したが、現代でも、アフリカのルワンダの〇〇大統領の政治がそれらしい。経済成長率7%、一方、反対派を逮捕している。

 

同番組のコメンテーターが次のように言っていた。

「現代の中国・ロシアも開発独裁ではないか、それが効果を発揮してる面があり、米欧の民主主義押し付けが邪魔くさいという事になるのじゃないか」

 

確かにねえ。露のウクライナ侵略を民主主義の面から非難しても、アフリカ諸国(開発独裁を目指す)がそれに乗らない一つの理由かもね。

 

ところで戦後日本の経済成長。自民党政権継続(一党支配継続)、同政権による戦後民主主義への攻撃(教育支配・マスコミ統制・司法支配・労組弱体化政策・労働力流動化政策→孤立分断、学問の自由への攻撃)は、一種の開発独裁とみることはできないか。

 

さて成長できなくなった日本(開発独裁の終わった日本)は、資本主義の全般的危機に対するファッシズム独裁になるのかも、現在はその過程なんだろうね。きっと。