マイナ敗戦(金子勝氏)/日本海軍は防衛のためのもの(司馬遼太郎氏)

マイナ敗戦は、毎日新聞特集ワイド(8月29日)の金子勝の分析の題です。

金子勝は、久しぶりなんで興味を持ってよみました。

マイナカードの誤登録問題は、ヒューマンエラーの問題でなく、日本の技術力の低下の問題と、彼は分析しています。

私なりに要約しますと、

「間違えても登録できてしまうという事は、システムに問題がある。このシステムを作ったのは、富士通NECなど日本のIT企業体5社の共同事業体。これは現在の日本企業の技術力の低下の象徴だ。コロナワクチン製造でも自然エネルギーでも電気自動車でも、日本企業は、欧米・中国企業に後れを取っている。この低迷の理由の一つは、政府の教育費削減である。「有期雇用が増え、のびのび研究する雰囲気がなくなった」という。

もひとつの原因を、金子は、日本の戦後の無責任体質という。「成長が鈍化した時、業績悪化の責任を取りたくない企業のトップは、リストラ・非正規雇用・公共事業で利益を確保し、失敗を取りつくろうとした。そんな企業から新しい産業なんて生まれない。」

 

日本企業の競争力低下は事実だし、政府の教育費削減も事実で、この二つが関係するとは、証明が難しいけど、そうだろうなと想像はできる。

 

野党は、声高に教育費増加を言ってほしい。

 

責任を負うべき者の無責任体質は、その通りだと思う。天皇の戦争責任然り。東電原発事故シカリ、安倍の森加計桜シカリ。しかし、これは戦後に限らない。

近頃読んだ澤地久枝の「うみよ眠れ」には、海軍指導部・連合艦隊司令部・機動部隊司令部などいい加減さがよく表れている。

あのミッドウエーの惨敗だと、軍令部総長は辞任、山本五十六南雲忠一は引退ぐらいの話しである。それがお互い隠ぺいしあって、責任なんか取ってない。丸山眞男が喝破した「無責任体系」である。

 

企業はどうだろうか、企業トップは、まだ政治家よりも責任はとっていると思う。山一社長の涙の会見を思い出す。一方、金子の言う、リストラ・非正規雇用・公共事業頼りもその通りと思う。よくわからない。ただ進取の気質がないのだけは間違いない。

それがどこから来るのか、の検討が必要と思いました。

・・・・話は変わって。

今年は、司馬遼太郎生誕100年だそうだ。

司馬は、「新選組血風録」以来少々読んだ。「竜馬がゆく」「峠」「燃えよ剣」「北斗の人」などである。いずれも大変面白かった。しかし名作といわれる「坂の上の雲」は途中で挫折した。回り道が多すぎて面白くなかったという印象を持っている。司馬には、「司馬史観」と言われる、深い歴史観もあるそうである。

 

私の歴史への関心は、自分も人も子孫も、再び戦争の惨禍にあわないようにするにはどうしたらよいか、に尽きる。

この点司馬は、昭和の戦争を書いてなくて、その代り「この国のかたち」を書いたと言われる。そこで、「うみよ眠れ」6巻を返すついでに「この国のかたち」を借りてきた。ちょうど、同じ6巻である。まあ、面白いかどうかわからないので、結論的なことを言ってるだろう6巻から読み始めた。

6巻を開くと、「歴史の中の海軍」というのが目に飛び込んだ。私が関心を持っている分野である。

ペリーの黒船以来日本の海軍についての話である。しかし、龍馬の話だったり、スペインの無敵艦隊の話になったり、山本権兵衛の話になったり、軍縮会議の話になったり、よく言えば広範囲、悪く言えば雑談である。

 

いわんとするところは、大海軍は広大な植民地を持つ国が必要としたもので、日本海軍は日本防衛のものである。バルチック艦隊を迎え撃ったその後は「何分ノ一かに縮小」すべきものだった、という事らしい。

 

そんな気もする。この項は浜口の遭難で終わっている。ここで未完となってい

る。司馬の死去による。この後、昭和の海軍についての司馬の見解が示されてたはずなんだろうけど、残念なことである。

 

6巻の残りは、随想集で、「旅の効用」「うたうこと」「声明と木遣りと演歌」「醤油の話」「「言語についての感想(1)~(7)」「雑話・船など」「コラージュの街」「原形について」「祖父・父・学校」「街の恩」「源と平の成立と影響」「役人道」という随筆群が並んでいる。

 

いろんな分野に関心を持ち、広い視野と知識を持っていた人だな、と思った。

「言語についての感想」では、「一つの社会が成熟するとともに、文章は社会に共有されるようになって互いに似通う」というテーマで、あちこちの話をしている。

「役人道」・・・趣旨「お役人の腐敗(汚職)は、アジアに共通の風習だが、日本は、かつてそれがひどくなかった。近代アジア諸国はそれからの脱却をテーマとしている」この例をいろいろ挙げている。そして「現代(1990年代か)は、日本は、清廉な伝統から外れ、旧アジア化しているのではないか」と警鐘を鳴らしている。

 

私の興味・関心(戦争防止)から見て、なるほどと思ったことは、以下のこれだけ。

日本海軍は日本防衛のためのもので、日本海海戦以後日本海軍は縮小すべきだった」